寿永2年閏10月1日(1183年11月24日/ユリウス暦では11月17日)、現在の岡山県倉敷市付近で平氏と源氏の軍勢が衝突しました。
都落ちして屋島(香川県高松市)に本拠を構えた平氏を、木曾義仲の軍勢が追撃した水島の戦いです。
合戦は平氏の勝利に終わるのですが、この水島の戦いには天文にまつわるエピソードがあります。戦が起きたのは旧暦1日、つまり新月の日。
平家の輩は、舟軍自在を得たりければ、乱入て散々に切。面を向る者はすくなし。舟耳に近付者をば取て海に入、底にある者をば冑の袖をふまへて頸を掻、城の中よりは勝鼓を打て■り懸る程に、天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成たれば、源氏の軍兵共日蝕とは不知、いとゞ東西を失て舟を退て、いづち共なく風に随つて遁行。平氏の兵共は兼て知にければ、いよ/\時を造り重て攻戦。
合戦は船の戦いに慣れた平氏の優位に進みます。その時「
天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成たれば」、つまり「空が急に曇って日光が消え、闇夜のようになった」。日食があることを知らない源氏は慌てふためき逃げ惑い、日食を知っていた平氏はここぞと追撃に拍車をかけます。
このとき起きたのは金環食で、西日本を北西-南東方向に金環帯が横切りました。水島が金環帯に入ったかどうかは計算によって異なるのですが(古い時代ほど地球の自転のズレの影響が大きくなり、厳密な金環帯を導くのが難しくなります)、仮に金環にならずとも、食分0.95の大きな部分食でした。
・
NASAの過去予報(この計算では水島は金環帯の東側になります)。
ここで問題なのは、金環日食の場合、さほど空は暗くならないこと。
・「
⾦環⽇⾷では暗く感じません」(PDF・
2012金環日食日本委員会)
「⼈の⽬には(略)通常の明るさの2/3程度に感じるのです。周囲の明るさが⼀気に2/3になれば、誰でも容易に気づきます。しかし、1時間以上かかって徐々に明るさが低下すると、⽬の順応もあり、よほど注意深く観察している⼈以外はほとんど変化を感じません。」
ということで「
天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如く」という状況はどうも合いません。むしろ皆既日食のような描写です。
明石市立天文科学館の井上学芸員とこの話をしていて、井上さんの説は「金環食の時に曇ったら、月の影と雲の減光が相まって、暗くなるのかもしれない。水島の戦いもそうだったのでは?」。
はい。船上で身をもって、曇った金環日食を体験してきました。
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