塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2005年10月31日

万博記念公園(吹田市)

 神戸を抜け出して、吹田の万博記念公園に行って来ました。
 大阪万博は、まだ生まれる前の出来事です。今回は科学万博-つくば'85の取材で行ってきました。なぜに科学万博で大阪の万博記念公園!? というのは、下の記事をご覧ください。
2005年の科学万博・エキスポランドに科学万博の残影を見る

 大阪万博、すでに35年前の出来事ですが、会場跡地を訪ねると、まだ当時の余韻というか、熱気の残滓みたいなものを感じることが出来ます。今でも熱いサイトがいくつもあり、個人で博物館をつくってしまった「万博ミュージアム」はじめ、ここのリンク集にあるサイトも強者だらけ。高度経済成長の絶頂期のイベントでしたから、とにかくすごかったんでしょうね。

 私はすっかり、太陽の塔にあてられてしまいました。陽が暮れるまで眺めていました。


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2005年10月29日

ペーパークラフト at 明石

 職員の手作りです。なんか回を追うごとにエスカレートしていますね。
 オービターは既存のペーパークラフトを拡大したモノ……といっても拡大の仕方が半端じゃないです。外部燃料タンク(ET)と固体ロケットブースター(SRB)はオリジナルだそうです。こっそり「ハセガワの模型を参考にした」と耳打ちしてくれましたが、いずれにせよ、ここまでスケールが違うと、フルスクラッチでつくっているのと変わりませんよ。
 オービターのエンジン基部にシゴセンジャーが3組います。実際のシャトルの縮尺に合っているのは、どのシゴセンジャーでしょう。
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2005年10月28日

ばしびぃ at 四突 with ペーパークラフト

ぱしび併走1ぱしび併走2
 10月27日、ぱしふぃっくびいなすが神戸港に入港しました。
 同日未明に竣工した我が家のぱしびぃペーパークラフトも出向いてお出迎えです。
 写真をバックに撮影したのではありません(^_^;>MASAYOさん続きを読む
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秋の洋菓子フェア

 六甲アイランドの神戸ファッションプラザにて。surubonさんのロマンも出店中。ハーバーナイトが期間限定復活だそうです。食べたいけど、六甲アイランド、遠い〜っ!
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2005年10月26日

旧神戸移住センター(神戸移住資料館)

旧神戸移住センター看板 南米への日本人移住というのは、正直、私の世代にとっては半ば歴史の中の出来事のような気がします。神戸は1868年から1971年までの間に約25万人の移民を送り出しました。1971年というと、30年余り前ですから、あらためて見るとそれほど昔でもないのです。

 その海外へ移民した方々が、日本での最後の日々を過ごしたのが、神戸移住センターでした。1928年に建てられた当初の名称は、国立神戸移民収容所……収容所って、なんかすごい名前です。以下パンフレットの年表を拾い読みすると、1932年に神戸移住教養所と改称され、1941年に戦争で閉鎖、1942年に大東亜要員養成所になります。……いったい何を養成したのでしょう!?
 戦後の1952年に、神戸移住斡旋所として再開、1964年に神戸移住センターとなり、1971年に閉鎖。
 その後は1994年3月まで准看護学校になっていました。

 震災後は神戸海洋気象台が一部引っ越してきたり、芸術家の拠点"CAP HOUSE"として使われています。そして建物の一角に神戸移住資料室が設けられていて、日本人移民に関する資料を見学することが出来ます。

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2005年10月25日

「神戸絵図」石原正

 鳥瞰図絵師・石原正さんの1981年の作品。石原さんは日本でも数少ない鳥瞰図絵師で、特に都市の鳥瞰図では第一人者というより唯一、孤高の存在でした。
 「神戸絵図」は1981年のポートピア博にあわせて描かれたもので、同時に同博覧会の公式マップも手がけられています(市立中央図書館に入っています)。

 私は神戸に住んで間もない頃に本屋で見つけて手に入れたのですが、「なんだ? 知らないものがいっぱい載ってるぞ」と仰天。そりゃそうです。製作年代を確認してから買えってなものです。今では三宮の界隈もずいぶん詳しくなったので、たまに広げてみては、「ここは震災前、こんなのが建っていたのか」と想像を膨らませて楽しんでいます。

 「神戸絵図」、何年か前にセンター街のジュンク堂で、「在庫見つけました」といった貼り紙と一緒に店頭に並んでいたのですが、その時にもう一部、保存用に買っておくべきでした。続きを読む
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2005年10月23日

神戸市長選挙

 投票してきました。
 この先4年間の、神戸の舵取り役を決める大事な選挙です。

 あとで文句を言っても始まりません。ちゃんと足を運んで、自分の意思を表明しましょう。
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2005年10月17日

部分月食

 完全に、現象があるのを忘れてました(汗)。
 終了時刻ギリギリで思い出しました。時計を見たら21時33分。
 雲間から、ほんのり片端が暗くなった満月が見えました。
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2005年10月09日

花隈城天守閣之址(神戸市中央区)

花隈城天守閣跡 神戸は港町として発展した街で、城下町としての面影はどこにもありません。
 ただ海陸の要衝だったこともあって、一ノ谷の戦いや湊川合戦など、日本史を左右する大合戦が何度か起こっています。そして軍略上の拠点の常として、神戸にも城郭が築かれていたのでした。

 その中で比較的知られているのが、花隈城でしょう。花隈駅の北東に、石垣が積まれた花隈公園があり、この一帯が戦国時代の花隈城跡です。ただし石垣は後世積まれたもので、当時のものではありません。築城は1568年とも1574年とも言われていますが、織田信長が室町幕府を滅ぼすのが1573年ですから、いずれにせよ戦国後期の出来事です。伊丹に本拠を置いた荒木村重の持ち城でした。
 中世城郭は土塁と空堀のイメージが強いのですが、戦国後期ともなると築城技術も発達し、ましてや石材の供給には事欠かない六甲山麓です。おそらく主要部は石垣で固められ、頑強な構えだったと思われます。

 ただし花隈城が歴史に名を残す期間は、花のように短いものでした。荒木村重は1578年に織田氏に反旗を翻し、1580年に敗北。花隈城も落城、廃城となり、資材は大阪や兵庫の築城に持ち去られたと伝えられています。

 浄土宗福徳寺の門前に、「花隈城天守閣之址」の石碑が建てられています。周囲の路地も一面のコンクリートで固められ、花隈公園とこの石碑以外に、当時の面影を偲ぶよすがもありません。

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2005年10月05日

小泉八雲旧居跡

小泉八雲旧居跡 中央区下山手通6丁目、中央労働センターの玄関前にあります。
 小泉八雲、元の名をラフカディオ・ハーンは、松江の印象がとっても強い人です。
 が、日本での日々のほとんど、晩年は東京で過ごしました。松江に住んでいたのは1年2ヶ月あまりに過ぎません。その後、熊本を経て、1894年に来神。2年間をここで過ごします。日本に帰化し「小泉八雲」となったのはこの神戸時代のこと。
 「知られざる日本の面影」に収められた「日本人の微笑」も、神戸時代に執筆されたといわれています。あの名文が神戸で生まれたのだと思うと、ちょっと感激。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 地図と地理と遠出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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