2005年10月31日

万博記念公園

太陽の塔 吹田の万博記念公園に行って来ました。
 大阪万博は、まだ生まれる前の出来事です。今回は1985年の科学万博-つくば'85の取材で行ってきました。なぜに科学万博で大阪の万博記念公園!? というのは、下の記事をご覧ください。
2005年の科学万博・エキスポランドに科学万博の残影を見る

 大阪万博、すでに35年前の出来事ですが、会場跡地を訪ねると、まだ当時の余韻というか、熱気の残滓みたいなものを、現場を知らない人間でも感じることが出来ます。なにせネット検索をかけてみると、今でも熱いサイトがいくつも出てきます。個人で博物館をつくってしまった「万博ミュージアム」。そしてここのリンク集にあるサイトもそれぞれ強者だらけです。高度経済成長の絶頂期のイベントでしたから、とにかくすごかったんでしょうね。

 私はすっかり、太陽の塔にあてられてしまいました。陽が暮れるまで眺めていましたよ。
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2005年10月29日

ペーパークラフト at 明石

紙製シャトル 職員の手作りです。なんか回を追うごとにエスカレートしていますね。
 オービターは既存のペーパークラフトを拡大したモノ……といっても拡大の仕方が半端じゃないです。外部燃料タンク(ET)と固体ロケットブースター(SRB)はオリジナルだそうです。こっそり「ハセガワの模型を参考にした」と耳打ちしてくれましたが、いずれにせよ、ここまでスケールが違うと、フルスクラッチでつくっているのと変わりませんよ。
 オービターのエンジン基部にシゴセンジャーが3組います。実際のシャトルの縮尺に合っているのは、どのシゴセンジャーでしょう。
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2005年10月26日

旧神戸移住センター(神戸移住資料館)

旧神戸移住センター看板 南米への日本人移住というのは、正直、私の世代にとっては半ば歴史の中の出来事のような気がします。神戸は1868年から1971年までの間に約25万人の移民を送り出しました。1971年というと、30年余り前ですから、あらためて見るとそれほど昔でもないのです。

 その海外へ移民した方々が、日本での最後の日々を過ごしたのが、神戸移住センターでした。1928年に建てられた当初の名称は、国立神戸移民収容所……収容所って、なんかすごい名前です。以下パンフレットの年表を拾い読みすると、1932年に神戸移住教養所と改称され、1941年に戦争で閉鎖、1942年に大東亜要員養成所になります。……いったい何を養成したのでしょう!?
 戦後の1952年に、神戸移住斡旋所として再開、1964年に神戸移住センターとなり、1971年に閉鎖。
 その後は1994年3月まで准看護学校になっていました。

 震災後は神戸海洋気象台が一部引っ越してきたり、芸術家の拠点"CAP HOUSE"として使われています。そして建物の一角に神戸移住資料室が設けられていて、日本人移民に関する資料を見学することが出来ます。

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2005年10月17日

部分月食

 完全に、現象があるのを忘れてました(汗)。
 終了時刻ギリギリで思い出しました。時計を見たら21時33分。
 雲間から、ほんのり片端が暗くなった満月が見えました。
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2005年10月09日

花隈城天守閣之址(神戸市中央区)

花隈城天守閣跡 神戸は港町として発展した街で、城下町としての面影はどこにもありません。
 ただ海陸の要衝だったこともあって、一ノ谷の戦いや湊川合戦など、日本史を左右する大合戦が何度か起こっています。そして軍略上の拠点の常として、神戸にも城郭が築かれていたのでした。

 その中で比較的知られているのが、花隈城でしょう。花隈駅の北東に、石垣が積まれた花隈公園があり、この一帯が戦国時代の花隈城跡です。ただし石垣は後世積まれたもので、当時のものではありません。築城は1568年とも1574年とも言われていますが、織田信長が室町幕府を滅ぼすのが1573年ですから、いずれにせよ戦国後期の出来事です。伊丹に本拠を置いた荒木村重の持ち城でした。
 中世城郭は土塁と空堀のイメージが強いのですが、戦国後期ともなると築城技術も発達し、ましてや石材の供給には事欠かない六甲山麓です。おそらく主要部は石垣で固められ、頑強な構えだったと思われます。

 ただし花隈城が歴史に名を残す期間は、花のように短いものでした。荒木村重は1578年に織田氏に反旗を翻し、1580年に敗北。花隈城も落城、廃城となり、資材は大阪や兵庫の築城に持ち去られたと伝えられています。

 浄土宗福徳寺の門前に、「花隈城天守閣之址」の石碑が建てられています。周囲の路地も一面のコンクリートで固められ、花隈公園とこの石碑以外に、当時の面影を偲ぶよすがもありません。

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2005年10月02日

南極観測船「しらせ」

 この船を見るために、わざわざ高松まで出かけてきました。現役の南極観測船に、一度お目にかかりたかったのです。すでに後継船の建造が決まり、数年内の退役が決まっている船なので、働いている姿を見るなら今のうちという思いもありました。
 南極。雪と氷河の大陸。男なら一度は南極越冬隊にあこがれるものです。え、そんなことはない!?
 でも「昭和基地」なんて聞くと、なんとなく心躍りませんか? 少しでも子どもの頃に科学好き少年少女だったら、そんな気持ちを理解してもらえるかもしれません。
 実は海上自衛隊所属の艦船で、正式名称も「砕氷艦『しらせ』」です。でもやっぱり、南極観測船の方が似つかわしい気がします。
 当日は予想外の大行列。乗船まで1時間待ち。こんなに並んだのは、かつて東京国立博物館で開催されていた日本国宝展以来です(愛知万博行かなかったし)。それでも、並んだだけのことはありました。しっかり満足して、神戸への帰途につきました。行き帰りはジャンボフェリーだったので、一日のほとんどを船上で過ごしたことになります。
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