池波正太郎『忍者丹波大介』
茨城城郭研究会『図説 茨城の城郭』
2007年05月31日
2007年05月30日
岩屋城(福岡県太宰府市)
1586年、大友氏を下して九州統一を成し遂げようと、島津勢が大挙、筑前に乱入します。大友方の高橋紹運は七百余名の家臣と共に五万の島津勢を迎え撃ち、半月間の籠城を戦い抜きますが、全滅。
しかし岩屋城で痛手を被った島津軍は、続く立花山城を攻めあぐみ、やがて豊臣秀吉の九州遠征軍を迎えて撤退します。
立花山城に籠もっていたのが高橋紹運の実子で、西国最強武将にも数えられる立花宗茂です。
本丸跡には櫓台と思われる高台があり、背後には尾根を断ち切る大堀切が残っています。また大野城の城域にも岩屋城の馬責といわれる場所があります。林道の下には高橋紹運の墓所もあるそうですが、こちらには立ち寄りませんでした。
私は太宰府天満宮から林道を登りましたが、歩いても歩いても「岩屋城跡○km」の看板の距離表示が減らず、閉口しました。たしか「あと2km」の看板が、徒歩10分ほどの距離を置いて2枚はありました。なんてルーズな道案内。
なお都府楼跡からの登山道を登ると、他の曲輪を見ることが出来るようです。2007.5.19撮影。
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太宰府攻城戦記
九州国立博物館を見るついでにと、思い立ってしまったのです。
「あれ、大野城って太宰府の裏山じゃないか。標高300〜400mってことは、神戸で言えば高取山くらいか。よし、登ろう。」
ついでに調べたら、大野城の中腹に岩屋城もあるのです。数万の島津勢を相手に七百あまりの手勢を率いて玉砕した高橋紹運激闘の地です。これは、行かないわけにいかないじゃないじゃありませんか。
で、博物館のインフォメーションで、ボランティアの方に聞いたのです。
「ここから大野城に登って、水城に抜ける道ってありますか?」
ボランティアのおじさん、「へっ!?」という顔。
ボ「お兄さん、足は何で来られたのかな?」
ふ「電車と徒歩です」
ボ「……ううむ、車で登る道はあるんだけどねぇ」
ふ「車道はあるんですね。そこ歩いたら何時間くらいかかります?」
ボ「……遠いよ」
いや、遠いのは分かっているんです。私が聞いてるのは所用時間です。
ふ「歩くのは慣れてますので。何時間くらいかかるでしょう?」
ボ「車じゃないと無理だなぁ」
ふ「そうなんですかぁ?」
ボ「うん、どうしてもってんなら、明日の朝、出直してきた方がいいよ」
って、関西から来た人間に、なんて殺生なことを(^_^;
仕方がない。登りましたよ。
って……なんのために話を聞いたんだ(苦笑)
よもやこれが、苦難の始まりになるとは、その時は思いもしなかったのでした。
九州国立博物館
「未来への贈りもの-中国泰山石経と浄土教美術-」という特別展をやっていましたが、今回はパスして常設展のみ見学。それにしてもゴールデンウィークを挟む期間に、地味なテーマの特別展を設定したものです。
さて常設展ですが、アジアとの交流の中で日本文化がどのように形成されてきたかということが、大きなテーマになっています。半分くらい文化人類学に足を突っ込んだような展示なので、ちょっとびっくり。しかも中世前半、鎌倉くらいまでが色濃いところで、近世以降はバサッとあっさり片づいています。うわ、大胆。
衝撃を受けたのは再現文化財の興福寺の阿修羅像。彩色状態も復元した実物大の像が展示してあるのですが……全身オレンジ色で、口元にヒゲはやしてるんですよ! いや、ヒゲはやしているのは知っていたのですが、こうして見せつけられると、あぁ。憂色を湛えた阿修羅像のイメージが粉砕されました。
常設展だけでも丁寧に見たら半日はつぶせます。私の場合で2時間ちょい。特別展見たらお腹いっぱいで頭痛くなったかも。
「バックヤードツアー」は案内が分からなくて気付きませんでした。受付時間内に総合案内所を通りかかっているはずなのですが、すでに締め切られた後だったのかもしれません。ここのウリの一つなので、残念。
あとここのガイドブック「Asiage」は買いです(館の機関誌も同名ですが、ガイドブックの方)。雑誌みたいな編集で、読み物としても面白く、いい方に裏切ってくれました。ミュージアムショップで代引きで通販しているらしいので、これから行こうという人は、事前に取り寄せておくとよいでしょう。2007.5.19撮影。
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ほしともキッズ・子午線標識めぐり
河野くんのブログに詳しく載っています。って、それではちょっと手を抜きすぎか(^_^;
天文科学館の星の友の会のジュニア部門として今年から活動を開始した「ほしとも☆キッズ135」。船出したばかりなので、みんなで試行錯誤しながら、ネタも持ち寄りながらやっています。で、「子午線の話なら出来ますよ」と大見えきってしまったので、こんなことに。
子ども向けだからこそ、きっちりネタは仕込んでおこうと思ったのですが、なかなか難しいですね。紙の資料と小道具2つを準備するのが精いっぱい(あえてPowerPointは使いませんでした)。
反省点はいろいろありますが、ま、無事に終わって何よりでした。
天文科学館の星の友の会のジュニア部門として今年から活動を開始した「ほしとも☆キッズ135」。船出したばかりなので、みんなで試行錯誤しながら、ネタも持ち寄りながらやっています。で、「子午線の話なら出来ますよ」と大見えきってしまったので、こんなことに。
子ども向けだからこそ、きっちりネタは仕込んでおこうと思ったのですが、なかなか難しいですね。紙の資料と小道具2つを準備するのが精いっぱい(あえてPowerPointは使いませんでした)。
反省点はいろいろありますが、ま、無事に終わって何よりでした。
2007年05月29日
太宰府天満宮
東風ふかば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな有名なこの歌、天満宮では「春な忘れそ」と紹介しています。道真公は漢詩もたしなんでいたので、「春な忘れそ」の方がキリッとした雰囲気。でも私は「春を忘るな」のほうが、やさしげな感じで好みです。
ちなみに「東風」は「こち」と読みます。念のため。
木造の昔ながらの雰囲気を残す、風情のある茶屋です。
太宰府名物梅ヶ枝餅。お薦めは抹茶のセットですが、今回は梅香茶(梅昆布茶です)のセット。梅ヶ枝餅は、これは一度、焼きたてのホヤホヤを食べるべきです。表面のお餅がカリッと香ばしく、中のあんこがホクホクに温かい美味しさは、お土産ではなかなか味わえません。
2007.5.19撮影。
赤間神宮
境内の巨大な絵馬には、イノシシにまたがった安徳帝の「幼帝猛進図」が描かれていましたが、数え8歳にして剣を抜き、手綱も持たずに騎乗(猪乗!?)という状況設定に無理が……
赤間神宮は『耳なし芳一』の舞台です。話の中では阿弥陀寺として登場するので、最初は別の寺から赤間神宮に通ったのかと思っていましたが、同じ境内なんですね。明治政府も面倒なことをしてくれたものです。
その平家一門の墓、通称「七盛塚」は境内の北側にあります。まつられている一門で盛の付く人は、有盛、資盛、経盛、知盛、教盛、盛継……あれ、一人足りない。って、それでは播州皿屋敷になってしまうじゃありませんか。
七盛塚の脇には芳一堂があって、耳なし芳一の像が飾ってあります。なんとなく夜には近づきがたい雰囲気です。2007.5.18撮影。
2007年05月28日
壇ノ浦砲台(山口県下関市)
長州を襲った幕末の風雲、四国連合艦隊下関砲撃事件の舞台となったのも関門海峡一帯です。壇ノ浦にも砲台が築かれ、当時使われた国産「八十斤長州砲」のレプリカが海に向かって並んでいます。
一見、頼もしげに見えるのですが、外国艦隊との性能差がありすぎて、実戦では一方的に叩きのめされました。おまけに陸戦隊に上陸され、「地上戦ならサムライが勝つ」と思っていた長州軍は再度叩きのめされます。そして「八十斤長州砲」は哀れ戦利品として分捕られてしまうのでした。
冷静に判断して、最初から勝ち目のない戦争なのですが、長州人は暴走すると見境のない行動をしでかすことがあります。明治維新が上手くいったのは時流やら何やら条件の揃った奇跡のようなもので、その後、昭和初期には長州色を強く残したといわれる陸軍が大暴発し、下関どころか日本全体をどん底にたたき落とします。
……今の首相も長州出身なんですよねぇ(ぼそっ)。
さて、よみがえった壇ノ浦砲台の八十斤長州砲には「有料コインシステム」と呼ばれる脅威のメカニズムが仕組まれています。100円硬貨を投入すると、恐るべし! 轟音と白煙が! しかも三連発!
誰がそんなものにお金をつぎ込むか! もちろん私はつぎ込みました(^_^;
白煙はともかく、音はもう少し大きな方が迫力あるかなぁ、と思ったのですが、なにせ幅の狭い関門海峡。国際航路で変な誤解を招くと大変なので、ほどほどにしておいた方がよいのかもしれません。
砲台を離れると、背後から爆音三発。あ、またお金をつぎ込んだ観光客が……(^_^;
実はなかなかの人気者なのでした。2007.5.18撮影。
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壇ノ浦古戦場
下関の地上に出ると、いきなり視界に入ってきたのが紙芝居のおじさんでした。関門海峡は源平合戦の終局、壇ノ浦合戦の古戦場でもあるのです。
そしてこのおじさんは、平家物語の壇ノ浦のくだりを熱演中。なかなかの名調子で、すっかり聞き入ってしまいました。実はこの方、観光振興のNPOのスタッフとかで、お土産にと絵はがきまで頂きました。
大輪田泊の修築や福原遷都もあって、神戸では比較的、平家の人気が高いのですが、下関も負けず劣らず平家びいき。
海峡に臨んで建てられた「義経の八艘飛び」の銅像など、敵に背を向けて逃げているようにしか見えません(苦笑)。
隣には、敗北を悟った平知盛が碇を背負って入水する像が建っているのですが、なぜかそちらの方が格好良く見えます。
思い起こせば平家も一ノ谷であれだけボロ負けしていなければ、その後一年あまりでこんなことには……
空しき船は浪にゆられ、風にしたがひてぞただよひける、赤旗赤符海上にちぎりすてたれば、紅葉を嵐の吹散せるに異ならず、水血に変じて渚による浪も紅なり2007.5.18撮影。−平家物語
2007年05月27日
関門国道トンネル(人道)
この九州旅行の1日目のハイライト、関門人道トンネル。正式には関門国道トンネルの人道部分です。
すでに「しまなみ海道」を自転車で走破し、明石海峡大橋も徒歩で歩いた私にとって、残された本州-九州間を自力渡航するのは積年の目標でした。
関門橋の直下にある人道の入口から、エレベーターでトンネルまで降ります。片道30秒。ちなみに歩行者は無料ですが、自転車と原付は通行料20円です。ただしトンネル内は押して歩かないといけないので、ギアがニュートラルに入らないスクーターだとちょっとつらいかもしれません。
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2007年05月23日
関門海峡波高し
川のような幅しかない関門海峡(狭いところでは600〜700mほど)ですが、そんなところに潜水艦がやってきました。たぶん海上自衛隊所属……というか、民間でこんな船を運用しているわけはありません。2007.5.18撮影。2007年05月22日
古城山砲台(北九州市門司区)
門司城(北九州市門司区)
国土地理院の地形図では古城山と表記されている標高175mほどの山で、軽く登れると思ったのが大間違い。急傾斜の車道を登ることになり、ちょっと疲れました。
山の中腹は関門自動車道のめかりPAになっていて、その他のエリアも公園化されたり、下関要塞の砲台になっていたりして、相当に改変が加えられています。
車道沿いには遺構はあるまいと、壇ノ浦合戦の壁画のある展望台から、薮に埋もれかけた登山道を登りました。所々に削平地や石塁があるものの、公園化の際の工事の手があちこちに入っているようで、当時の城郭のものかどうか判断がつきません。
ふもとから30分で山頂に着くと、「門司城跡」の石碑があります。眼下には関門橋。写真の左下にも小さく写っていますが、主塔を見下ろす眺めとは、びっくりです。ここが戦略上の要衝だったことが伺えます。
ただ海峡の門司側は手前の山体に視界を遮られるので、往時はおそらく、現在のPAのあたりにも曲輪があったのでしょう。
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門司港レトロ点描
神戸税関にも入ったことがないのに、旧門司税関に入ってしまいました。レンガ造りの建物で、一度民間に払い下げて倉庫転用された後、再整備されて税関の展示室や喫茶、ホールになっています。天井がきれいでした。
イカナゴの釘煮は塩屋が発祥地ですが、バナナの叩き売りは門司港が発祥地らしいです。でも、バナナの叩き売りの実演は、いまだに見たことがありません。
2007年05月21日
銀河への航海
九州旅行の帰途。鎮西の大地に別れを告げようと、新門司港を出港するフェリーのデッキに上がりました。ふと仰ぎ見ると、西空に燦然と輝く月・金星。なんて見事な!
透明度も抜群の空で、西空に沈みゆくベテルギウスにシリウス。5月も末近くなってシリウスにお目にかかるなんてめったにありません。ベテルギウスの北方にはカペラ……はもっと上にあるし、なんだあれは、水星か?
肉眼で地平高度が10度もない水星を見てしまいました。賑やかな星々に見守られながらの出航です。
風呂上がりに再びデッキに上がってみると、満天の星。
もっとも、デッキの上にはあちこちに常夜灯がありますし、客室の灯りも漏れてきますので、真っ暗闇とはいきません。それでも優に5等星まで確認できるなかなかの空。うしかいにかんむり、おおぐまにこぐま、ししにおとめにかみのけ、からす。春の星座たちがいとも簡単に確認できます。
西空にはオレンジに染まった月が沈んでいきます。海上からの月没も、おつなものです。
南東の空には、グッと身を起こしたさそり座が昇ってきました。自宅からでは小さくまとまった星座に見えるさそり座が、海の上では堂々の大星座に見えます。
その西方にはおおかみ座、さらに槍を突き立てるケンタウルス座。この空なら、双眼鏡があれば余裕でオメガ星団を確認できたに違いありません。残念ながら肉眼でオメガ星団を見るには至りませんでしたが、ケンタウルスの上半身の星々をはっきりたどれる機会も珍しいので、それでじゅうぶん満足です。
振り返って北東の空、はやくもベガが昇ってきました。明るい!
そんなこんなであちこち見渡しているうちに、はくちょうやわしも昇ってきます。東の空にボーっと見えるのは、もやではなくて、天の川!
フェリーは瀬戸内の海を、東に向かって進んでいきます。まるで銀河に突き進むかのよう。水平線には瀬戸内の島々や四国の家並みの灯りが点々と輝き、灯台やすれ違う船の灯りが後ろへ遠ざかっていきます。こんなすばらしい船旅があっていいのでしょうか。
ちなみにデッキは激寒です。だいたい20数ノット/h=約40km弱/hで巡航しているので、じっとしていてもそれだけの風が吹き付けてきます。おかげでデッキには私以外、誰も出てきません。もったいない。
地平線に横たわっていた銀河は、時間を追うごとに高度を上げ、アーチのように姿を変えていきます。天の川のアーチの真ん中目指して進みゆく船。
東の空にいるか座が昇り、北東の空に下方通過を終えたカシオペアの姿が見えてきたところで、船室に戻りました。
九州鉄道記念館
レンガ造りの本館は、旧九州鉄道本社。外壁を残して内装は一新され、弁天町の交通科学博物館の九州版といった趣の博物館になっています。
フェリーで目的地に着くと、たいてい朝早くて時間を持て余すのですが、ここは9時から開いていたので、ふらっと寄ってしまいました。おそらく土休日は行列が出来ているであろう鉄道シミュレーターも、平日朝は乗りたい放題。
でも、かつてカワサキワールドの「電車でGo!」で、一区間すら走りきることの出来なかった私です。今回も2駅目でオーバーランして、点数すら表示してもらえませんでした。ちなみに2回目は「上級」。
1時間もあればゆっくり見て回れるので、門司港レトロ区域内の他の施設と合わせて見学するといいかもしれません。2007.5.18撮影。
門司港駅
九州鉄道起点の駅、門司港。
九州最古かつ、駅舎で初めて重要文化財に指定された建物が現役で使われています。櫛形ホームの突き当たりに駅舎がある姿が、いかにも終着駅で素敵です。
古い洋風建築が残る周辺一帯も「門司港レトロ」として、観光開発が進んでいます。だいたい大正期くらいの建物が多く、なんとなく神戸の旧居留地に雰囲気が似ています。2007年5月18日撮影。




