塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
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(2015.5.22 管理人 記)

2007年05月31日

2007年5月の読書

池波正太郎『忍者丹波大介』
茨城城郭研究会『図説 茨城の城郭』


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2007年05月30日

ほしとも☆キッズ135「子午線標識めぐり」

 河野くんのブログに詳しく載っています。って、それではちょっと手を抜きすぎか(^_^;

 天文科学館の星の友の会のジュニア部門として今年から活動を開始した「ほしとも☆キッズ135」。船出したばかりなので、みんなで試行錯誤しながら、ネタも持ち寄りながらやっています。で、「子午線の話なら出来ますよ」と大見えきってしまったので、こんなことに。

 子ども向けだからこそ、きっちりネタは仕込んでおこうと思ったのですが、なかなか難しいですね。紙の資料と小道具2つを準備するのが精いっぱい(あえてPowerPointは使いませんでした)。

 反省点はいろいろありますが、ま、無事に終わって何よりでした。
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2007年05月21日

一心寺(大阪市天王寺区)

一心寺仁王門 安居神社の南隣に一心寺があります。平日の昼間だというのに大勢の人がやってくるお寺で、しかも人波は本堂の奥にある納骨堂へ向かっています。足を運ぶまで知らなかったのですが、納骨でつくった骨仏が納められているので知られているのですね。辻仁成『白仏』の世界の話だと思っていたら、大阪にもあったとは。

 写真は仁王門ですが、思いっきり現代芸術しているのにびっくりです。しかも違和感がない。なんかすごい。周辺一帯もいろんな建物があって「一心寺ワールド」を形成しています。

 境内には真田信之の義理の兄弟となる本多忠朝の墓があります。大坂の陣で討ち死にしたのですが、今では「酒封じの神」になっています。私が拝んだところで何の功徳もないのですけれど。

 三千仏堂の休憩所には石原正さんの『大阪絵図(改訂版)』と『夕陽丘絵図』の原図が展示してあります。メリハリの効いた筆致で、こうした絵図でもきっちり個性が出るものだなぁと眺め入ってしまいました。2007.5.21撮影。

 これでやっとこさ、5月17〜21日の旅行の分が終了。ひさびさに行き当たりばったりの旅でした。
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四天王寺(大阪市天王寺区)

四天王寺 聖徳太子の伝記には欠かすことの出来ない四天王寺。大阪市の天王寺区やミナミのターミナル天王寺駅の語源のお寺です。

 「日本佛法最初四天王寺」と彫られた石柱が立っていますが、そう言ってしまって差し支えない歴史があるのが四天王寺。現在の建物は戦後再建されたものですが、教科書通りの四天王寺式伽藍配置を踏襲しています。
 法隆寺などに比べると建物の優美さはなく、むしろ素朴さを感じるような意匠なのですが、飛鳥時代初頭なら案外こんなものだったのかもしれません。近くで見ると玄関がガラス戸だったりするのはご愛敬です。

 五重塔に登楼出来るので、ハサミと一緒で高いところが好きな私は、当然、登ってまいりました。ちょうど弘法大師の縁日だったので恐ろしいばかりに賑わう境内が一望できました。

四天王寺鳥居 四天王寺は南が正面なのですが、現在は西門が事実上の表参道になっています。面白いのはここに石鳥居があること。神仏習合時代の名残ですが、よくぞ狂乱的な明治の廃仏毀釈を生き延びたものです。2007.5.21撮影。
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眞田幸村戦死跡之碑(大阪市天王寺区)

眞田幸村戦死跡之碑 時代小説でも歴史小説でも屈指の人気を誇る真田信繁こと幸村の戦死の地。安居(やすい)天神の境内にあるのですが、静かでいい神社です。まずは道真公に敬意を表してから、本堂右手の石碑に。

 池波正太郎『真田太平記』の、幸村戦死の場面を思い出して、ついつい感慨にひたるのでした。2007.5.21撮影。

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大阪南港フェリーターミナル

大阪南港フェリーターミナル 九州・四国・沖縄航路の拠点となる日本最大級のフェリーターミナル。
 いつも大きな船がゴロゴロしているので、ここに入港するときのワクワク感は大好きです。

 名門大洋マークのファンネルの向こうは、かもめターミナルに停泊中の「おおさかエキスプレス」と「さんふらわあきりしま」。2007.5.21撮影。
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2007年05月20日

銀河への航海

船上からの月・金星 九州旅行の帰途。鎮西の大地に別れを告げようと、新門司港を出港するフェリーのデッキに上がりました。
 ふと仰ぎ見ると、西空に燦然と輝く月・金星。なんて見事な!

 透明度も抜群の空で、西空に沈みゆくベテルギウスにシリウス。5月も末近くなってシリウスにお目にかかるなんてめったにありません。ベテルギウスの北方にはカペラ……はもっと上にあるし、なんだあれは、水星か?
 肉眼で地平高度が10度もない水星を見てしまいました。賑やかな星々に見守られながらの出航です。

 風呂上がりに再びデッキに上がってみると、満天の星。
 もっとも、デッキの上にはあちこちに常夜灯がありますし、客室の灯りも漏れてきますので、真っ暗闇とはいきません。それでも優に5等星まで確認できるなかなかの空。うしかいにかんむり、おおぐまにこぐま、ししにおとめにかみのけ、からす。春の星座たちがいとも簡単に確認できます。

 西空にはオレンジに染まった月が沈んでいきます。海上からの月没も、おつなものです。

 南東の空には、グッと身を起こしたさそり座が昇ってきました。自宅からでは小さくまとまった星座に見えるさそり座が、海の上では堂々の大星座に見えます。

 その西方にはおおかみ座、さらに槍を突き立てるケンタウルス座。この空なら、双眼鏡があれば余裕でオメガ星団を確認できたに違いありません。残念ながら肉眼でオメガ星団を見るには至りませんでしたが、ケンタウルスの上半身の星々をはっきりたどれる機会も珍しいので、それでじゅうぶん満足です。

 振り返って北東の空、はやくもベガが昇ってきました。明るい!

 そんなこんなであちこち見渡しているうちに、はくちょうやわしも昇ってきます。東の空にボーっと見えるのは、もやではなくて、天の川!

 フェリーは瀬戸内の海を、東に向かって進んでいきます。まるで銀河に突き進むかのよう。水平線には瀬戸内の島々や四国の家並みの灯りが点々と輝き、灯台やすれ違う船の灯りが後ろへ遠ざかっていきます。こんなすばらしい船旅があっていいのでしょうか。

 ちなみにデッキは激寒です。だいたい20数ノット/h=約40km弱/hで巡航しているので、じっとしていてもそれだけの風が吹き付けてきます。おかげでデッキには私以外、誰も出てきません。もったいない。

 地平線に横たわっていた銀河は、時間を追うごとに高度を上げ、アーチのように姿を変えていきます。天の川のアーチの真ん中目指して進みゆく船。

 東の空にいるか座が昇り、北東の空に下方通過を終えたカシオペアの姿が見えてきたところで、船室に戻りました。
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小倉城(北九州市小倉北区)

小倉城跡 フェリー乗り場へのバスが出るまでの時間つぶしで散歩しているときに通りかかりました。この時、天守の廻りには足場が組まれて改修工事中。
 どうせ改修するなら、天守の破風を全部取り去って、ついでに層塔式の創建当初の姿にしてしまうとよいと思うのですが、って、それでは改修じゃなくて建て直しです。

 幕末の第二次長州征伐で落城し、小倉藩兵自身の手で焼かれたのですが、天守閣はそれ以前の1837年に炎上したそうです。つまり幕末の小倉城には天守はなかったんですね。

 写真は天守の東側から撮影していますが、天守の北側に、赤や黄色の原色系の再開発ビルがそびえているので、この角度以外では異様な光景になります。何考えてるんだろう、北九州市。2007.5.20撮影。

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posted by ふくだ at 23:47 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

秋月城(福岡県朝倉市)

秋月城跡 お城よりも「筑前の小京都」としての城下町の方が知られている街です。黒田氏も何故こんな片田舎に支藩をつくったのか不思議なくらいの山里なのですが、そのおかげで風情の良い街並みが今も残っています。桜と紅葉の時期は大変な人出になるそうです。

 現在の秋月城は1624年に黒田長政の三男が分封された時に築かれたもので、城とはいえ背面の守りがなく、政庁としての構造物です。秋月中学校の敷地になっていますが、堀と石垣がよく残り、雰囲気は十分です。

 秋月の名を教科書的に有名にしたのは、1876年10月に起こった「秋月の乱」。明治政府に対する不平士族の反乱の一つで、250人とも400人とも言う士族が明治新政府に対して反旗を翻したのでした。衆寡敵せず、一ヶ月も経たずに鎮圧されますが、この時の新政府軍を率いたのが乃木希典だそうです。2007.5.20撮影。

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福嶽城(福岡県朝倉市)

福嶽城跡 福岡県朝倉市というとピンとこないのですが、甘木市秋月というと、なんとなくイメージが浮かんできます。

 秋月城下町のただ中にある城跡で、江戸期に廃城になった後は鐘を鳴らす時櫓がおかれていたそうです。戦国時代の秋月城は現在の秋月城下町から離れた古処山にあったので、もともとはここが秋月集落の押さえだったのでしょう。2007.5.20撮影。

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