塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2011年08月28日

葛飾区郷土と天文の博物館

 葛飾区郷土と天文の博物館へ行って来ました。
 葛飾のプラネは座席の肘掛けに三択のボタンが付いていて、クイズやアンケートを行うことが出来ます。これを活かした名物番組が「クイズ!スター&プラネット」。どんなものかは予告編を見ていただきましょう。

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2011年08月27日

浄土平天文台

 吾妻山の浄土平は、1975年から1984年にかけて、星まつり「星空への招待」が行われた場所です。
 私が星を見始めるのとすれ違いで終わってしまったので、その賑わいは藤井旭さんの『星になったチロ』などの著作でしか知りません。
# 1987年に開催された番外編は天文雑誌の記事で読みました。

 その後、1993年に「浄土平天文台」が建設され、一般に公開されています。晴れていれば昼間も太陽観察を行っているそうですが、なにせこの霧。

 天文台の展示室の一角には、アストロ犬「チロ」の銅像があります。白河天体観測所の所長を務め、星空への招待の呼びかけ人を続けてきた、天文ファンには有名な犬。私の世代だと『星になったチロ』は読書感想文の課題図書にもなったので、読んだ人も多いのではないでしょうか。
# 対象年齢小学校高学年以上の本ですが、うちのブログを読んでくださる方なら絶賛おすすめ。

 『星になったチロ』は、続刊も刊行され、シリーズ5作全部揃えたので、「チロちゃん」は会ったことがないのに家族全員が知っている犬でした。銅像には初めて対面したのですが、なんか懐かしい気がしたのは、そんなせいかも。

 いつかこの浄土平で、満天の星空を眺めてみたいです。
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磐梯吾妻スカイライン

 震災後の観光支援のため、磐梯山系・吾妻山系を貫く3つの観光有料道路が無料解放されています(2011年11月15日)まで。磐梯山ゴールドライン、磐梯吾妻レークラインと走破したので、残る一つの磐梯吾妻スカイラインも走りに行きました。

 が。

 突然の霧、そして雨。霧というより雨雲の中に突っ込んでしまった状態です。ところにより視界10m。眺望自慢のスカイラインも何も見えやしません。ていうか身の危険を感じるんですけどこれ。

 道路最高点通過。私が車で走った標高記録です。でも周りは霧だらけ。

 浄土平の駐車場すら、入り口に気づかず、通り過ぎて引き返しました。
 写真の方向には小型の富士山のような吾妻小富士があるはずなのですが、山体が全く見えず。
 この辺りは火山性ガスの噴出で植物が生えにくい場所なのですが、荒地の景色も見えず、浄土平からの下りで微かに硫黄の匂いを嗅いだのが、唯一火山帯の道路を走った実感でした。
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裏磐梯湖沼群

 会津の名峰、磐梯山。1888年に大噴火が起こり、山体が北側に崩壊。5村11集落が埋没、死者477人に及ぶ惨事となりました。
 土石流というより、山そのものが崩れ落ちたというべき土砂で、山麓の川が埋まり、堰き止め湖が出現します。また泥流の窪地が池になったものもたくさん出来ました。裏磐梯三湖といわれる桧原湖・小野川湖・秋元湖や五色沼はこの時に誕生したものです。

 左写真は五色沼の毘沙門沼。水中の鉱物の影響で、水面はエメラルドグリーンに染まっています。五色沼は大小数十の沼の総称で、一つ毎に含有鉱物やプランクトンの違いで異なる色合いを見せています。1時間ほどで回れる散策路があるのですが、今回はパス。

 右写真は裏磐梯三湖のうち、桧原湖と小野川湖。河谷が堰き止められてできた湖なので、地図で見るとダム湖のような細長い形をしています。

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御薬園

 「御薬園」は会津松平家の別荘兼庭園です。
 会津若松城の外郭の外、かつての城下町の外側にあり、戊辰戦争時は西軍に接収されて傷病者の治療所として使われました。皮肉ながらもこのために戦火を逃れ、かつての姿をとどめています。
 会津松平家の所有でしたが、現在は会津若松市に移管されています。敷地の一角で薬草の栽培を行っていたことから「御薬園」の名があり、現在も土産物として様々な植物を用いた茶が販売されています。
 住宅地の一角で、のどかな雰囲気の場所です。
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日新館天文台跡

 日新館は会津松平家中の学校で1803年に開設されました。
 敷地は会津若松城の西側一帯。儒学や武道のみならず、プールや天文台も備えた総合的な学校でした。幕末の激動期、会津は幕府側で大きな役割を果たしますが、豊富な人材は日新館の教育で生まれたといえます。
 戊辰戦争で校舎は焼失、明治に入って元家中の有志により私学として再興され、現在の福島県立会津高校につながっています。

 日新館で唯一の遺構は天文台跡。市立謹教小学校の東隣にあります。
 東西に長い石垣の高台ですが、往時はほぼ正方形の土壇だったようです。幕末の会津若松城下の様子を伝えるとされる「若松城下絵図屏風(福島県立博物館蔵)」には、日新館の敷地の西隅にチロルチョコのような形の土盛が緑に塗られて描かれています。崩落防止のために斜面に芝を植えていたのでしょう。
 明治以降、周辺の開発が進むに従って削られ、残った部分を石積みで固めたのが今の姿です。
# 会津若松市のサイトによると、「基底12間余(21.6m強)、台上方5間半(9.9m)、高さ3間半(6.3m)」とあります(m換算は私の補足)。

 天文台というと望遠鏡を収めたドームのイメージがありますが、江戸時代の日本にはまだ大形の望遠鏡はありません。当時の資料に描かれた幕府天文方の天文台も、人工の小山の上に築いた木組みの建造物に渾天儀を乗せて観測しています。
 電灯のない江戸時代は、市街地でも、周囲の建物より高い場所で視界を確保すれば、天体観測を十分行うことができたのでしょう。

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会津若松城(会津若松市)

 会津若松城、別名鶴ヶ城。会津は古くから東北の要衝で、古くは葦名氏が居城を置いていましたが、奥州制覇を目指す伊達政宗がこれを奪取。豊臣政権下では蒲生氏郷や上杉景勝といった有力大名が封じられ、徳川幕府でも三代家光の異母弟、保科正之が入府。これが会津松平家として幕末まで続きます。

 戊辰戦争では新政府軍が城下へなだれ込みますが、堀際で撃退。以後、一ヶ月に渡る籠城戦が続きます。この間、城外の小山から一方的に砲弾を浴び続け、明治初期の古写真にはボロボロになった天守の姿が残されています。

 明治に入り、城内の建造物はことごとく破却されますが、1965年に天守が再建されます。当時は建築基準法の規制で大きな木造建築物を建てることが出来ず、鉄筋コンクリート造で内部は郷土資料館になっています。それでも城下町のシンボルとして、再び天守が上がる姿を見た市民の喜びはいかばかりだったかと思います。

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2011年08月26日

十六橋

  猪苗代湖から唯一流れる川が日橋川。途中、奥会津から流れる只見川と合流し、阿賀野川となって新潟で日本海に注ぎます。猪苗代湖からの流出口にかかるのが十六橋で、かつては石橋でした。

 戊辰戦争の時代では、猪苗代北岸から会津若松へ通じる唯一のルート。
 福島県西部一帯を領地としていた会津松平家は、領地を守るために兵力の分散を強いられます。板垣退助率いる西軍は守りの薄い母成峠を突破。寡兵の会津軍は途中の猪苗代城の維持も不可能と判断し、放火して退却。日橋川の十六橋で守備を固めます。

 会津軍は橋を破壊して西軍の足を止めようとしたのですが、追いつかれて薩摩・土佐勢の優勢な火砲に晒され、破壊工作は失敗。十六橋も突破され、わずか1日で会津若松城下への侵入を許します。これが白虎隊の悲劇につながるのですが、一連の古戦場の一つがここ。

 来てみたけれど、人っ子ひとり居ません。

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天鏡閣

 猪苗代湖畔の高台に建つ「天鏡閣」。1908年に有栖川宮威仁親王の別邸として建てられたもので、戦後は福島県の施設として使われてきました。国の重要文化財に指定され、現在は一般公開されています。
 有栖川宮家は江戸時代に後陽成天皇の皇子が創設し、大正時代に嗣子なく廃絶しました。天鏡閣を建てたのは最後の当主の威仁親王で、神戸市垂水区にある舞子ビラの元となる舞子別邸も建てています。

 建物は和洋折衷ですが、基本的に洋風ベース。一部屋一部屋が豪勢なつくりなのですが、かえって暮らしにくそうな気もします。いや、それは庶民の目線で考えては間違いかもしれません。

 かつては建物から猪苗代湖が見えたそうですが、現在はすっかり周囲の木が伸びて、眺望は効きません。ちょっともったいない気もしますが、森の中の洋館も乙なもの。

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