塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2014年09月28日

神戸近辺秋の一般公開イベント(2014年)

 適当に興味のおもむくままに。

・10月2日(木)〜31日(金) 王子動物園「旧ハンター住宅館内公開
  4・5・10月だけ内部が公開されます。
・10月4日(土) 竹中大工道具館「竹中大工道具館新館オープン
  新館というより新築移転。
・10月5日(日) みなと異人館「みなと異人館の一般公開
・10月5日(日) 神戸電鉄「神鉄トレインフェスティバル2014」(PDF)鈴蘭台車庫
・10月12日(日) 神戸市交通局「交通フェスティバルin名谷車両基地〜B-FREE〜」名谷車両基地(台風接近で中止)
・10月11日(土)〜12日(日) 阪九フェリー「船内見学」六甲フェリーターミナル ※受付12:30〜13:50
  ダイヤを見ると今回の公開は「フェリーせっつ」「フェリーすおう」みたい。ていうか阪九フェリーいつの間にまもなく新船就航なんだ!? 船齢的に「せっつ」「すおう」の置き換えになるのかなぁ。
・10月13日(月・祝) 宮崎カーフェリー「船内見学会」神戸三宮フェリーターミナル ※13-14時

・10月17日(金) 川崎重工「ばら積運搬船進水式」※要事前申込=10月8日〆切(往復はがき)
  悲しいけどこれ平日なのよね。
・10月18日(土) 京都大学生存圏研究所「信楽MUレーダー見学ツアー2014」※要事前申込=10月5日〆切
  流星電波観測の経験者ならお馴染みの信楽MUレーダー。でもこの日仕事入ってないか俺。
・10月19日(日) 阪急電鉄「秋の阪急レールウェイフェスティバル 2014」正雀工場 ※要事前申込=受付終了
  阪急はいつも事前申込制で気付いた時には終わってます(正雀は京都線沿線でちょっと遠い)。
・10月25日(土) 北神急行電鉄「2014 北神急行フェスティバル」(PDF)谷上車庫
・10月25日(土) 理化学研究所計算科学研究機構「計算科学研究機構一般公開
  いわゆる「京コンピュータ」の施設。
・10月25日(土) 「神戸医療産業都市・京コンピュータ一般公開〜体験!未来の科学島!〜
  同時開催で周辺の研究施設なども合わせて一般公開。

・11月1日(土) 京都大学花山天文台「京都大学花山天文台一般公開」※要事前申込=10月6日から
・11月1日(土) 国立天文台岡山天体物理観測所「特別観望会2014秋」※要事前申込=10月10日〆切(往復はがき)
・11月3日(月・祝) 阪神電鉄「鉄道の日 阪神まつり 2014」尼崎車庫 ※要事前申込=10月5日〆切
・11月9日(日) 神戸空港「管制塔・気象台見学会」※要事前申込=10月10日〆切(親子限定/往復はがき)
  親子限定か。うむむ。


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月と土星

 9月28日の日中、土星食がありました。
 晴れてはいたのですが、手持ちの機材で見える可能性がほとんどなかったので、観望も撮影もしませんでした。

 土星は単位面積当たりの輝度が低いので難易度が高いのです。
 以前、天文科学館の40cm反射望遠鏡で日中の木星食を見たことがあるのですが(ビデオカメラ付けてモニタでみんなで見ました)、月はともかく木星はかろうじて判別できる程度。さらに条件の厳しい土星を我が家の機材で捉えるのは難しい状況でした。

 とはいえ夕方になれば、土星とその前を通り過ぎたばかりの月が並んで見えるはず。
 ということでパチリ。もう少し接近して見えるものかと思ったのですが、5時間程度で案外、離れてしまうものです。

 
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2014年09月27日

京都御所・京都御苑

 一般的に京都御所と呼ばれますが、天皇が住んでいた築地塀に囲まれた内裏が京都御所で、その周りの公園が京都御苑です。京都御苑は環境省の管理下で誰でも入ることが出来ますが、京都御所は宮内庁の管理で春・秋の特別公開か事前申込の一般公開のみしか参観できません。

 京都御苑の一帯は内裏を囲む公家町で、出入口には門が設けられ、内裏の外郭的な役割を果たしていました。
 幕末はそれぞれの門を大名家が警護していましたが、有名なのが西側の蛤御門。門を守る会津勢に長州勢が攻撃を仕掛けたのが1864年の禁門の変(蛤御門の変)で、長州は負けて京都を追放され、戦火で京都市街も焼け落ちました。門には当時の弾痕と思われる凹みがいくつも残っています。

 東京遷都の後、主を失った公家町は急速に荒廃しました。このため御所の周囲の公家屋敷を取り壊して公園化したのが京都御苑で、外郭の門もその時に御苑の敷地にあわせて移設されています。蛤御門は30mほど東にあり南に開く門でした。
# 先の冷泉家は少し北に位置していたこともあって、この取り壊しを免れました。

 京都御所の北東は、鬼門除けで角が凹んでいます。魔除けの猿の彫刻があることから猿が辻と呼ばれています。幕末に尊攘派の公家・姉小路公知が暗殺されたのがこの辺り。もっとも当時の御所の塀はもう少し内側に築かれていたそうで、暗殺現場は現在は「塀の中」になっているそうです。
 昔からあるような顔をして、明治以降にあちこち動いて立て直されているので油断がなりません。

 御所正面の建礼門。
 場所が場所だけに格式が高く、天皇と国賓しか通行が許されないとか。
 庶民にはちょっと縁がなさそうです。
# 清盛の子で安徳天皇の生母となる建礼門院はこの門から院号を取っています。
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西陣・黒田如水邸跡

 西陣は応仁の乱(1467〜1477年)で西軍の総大将となった山名宗全が陣をおいた場所。
 室町幕府8代将軍・足利義政の後継者争いが戦いの発端ですが、戦いの目的が分からなくなるほどグダグダな経過をたどります。京都は灰塵と化し、室町幕府が弱体化して戦国時代が幕を開けるきっかけとなりました。
 現在は「西陣織」の工場が集積する織物の街になっています。この石碑も「西陣織会館」の前に建てられています。

 黒田官兵衛(のち出家して黒田如水)の京都での屋敷跡。
 豊臣秀吉が築いた聚楽第の周囲の武家屋敷街の一角です。
 たまたま街頭の案内図に載っていたので足を運んでみたのですが、石碑の前をうっかり通り過ぎ、地元の人に尋ねてようやく見つけました。町の名前が「如水町」になっています。この南隣が黒田氏の旧姓から取ったという「小寺町」ですが、これは気付きませんでした。
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冷泉家・藤原定家墓所

 『明月記』を記した藤原定家の子孫は冷泉家を名乗り、歌道を司る家として明治維新まで続きました。
 京都御所の北側、同志社大学のキャンパスに囲まれた場所に冷泉家の邸宅があります。『明月記』をはじめ多くの古文書を持つ家で、維新後も京都に残ったため関東大震災や東京の空襲に遭わずに、現代まで伝えられました。
 現在の住宅は江戸時代後期に再建されたもので国の重要文化財(通常非公開)。伝来の古文書ともども冷泉家当主を理事長とする公益財団法人冷泉家時雨亭文庫が管理しています。

 藤原定家の墓所は同志社大学の北側、相国寺にあります。相国寺は足利義満が創建したので、定家没後120年を経た時代。定家のお墓が先にあったのか、どこからか改葬したのかは分かりません。
 墓地は関係者以外の立ち入りはご遠慮くださいと札が立っているのですが、お寺の方に定家の墓のお参りに来たと告げると了解してくださいました。
 隣にあるのが足利義政(室町幕府8代将軍)で、さらに隣に伊藤若冲(江戸時代の絵師)のお墓。教科書クラスの有名人が並んでいてびっくりですが、和歌に東山文化のパトロンに絵師と、名だたる文化人が並んでいるのも不思議な感じ。『明月記』をめぐる散歩はこの墓所の参詣で一区切りとします。

 同じ敷地に藤原頼長(保元の乱の崇徳上皇方の当事者)の墓所もあるそうですが、こちらは気付きませんでした。頼長も学問好きな人なので、大学の隣で供養されているのはちょっとホッとする気がします。
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清明神社

 清明神社は平安時代の陰陽師・安倍清明(921〜1005)を祀る神社です。
 陰陽師は、役所でいうと占いや天文・時・暦を統括する陰陽寮の職員でした。占いを外すと現在の国立天文台のような役割ですが、当時は天文学と占星術をはじめとする占いは不可分で、むしろ吉凶の判断の為に天文学が育った面もあります。
 安倍清明の子孫は明治維新にいたるまで陰陽寮を統括します。のちに土御門家と家名を変えますが、江戸時代の渋川晴海(安井算哲)の改暦事業を描いた『天地明察』にも遠い子孫の土御門泰福が登場します。

 『明月記』の客星の記述は安倍清明の6代目の子孫にあたる安倍泰俊が藤原定家に送った書状を基にしています。陰陽寮か安倍氏に伝わっていたはずの観測記録は現在は失われてしまったのですが、明月記に引かれた形でその一部を垣間見れるのです。

 清明神社の五芒星の紋。
 陰陽師の家だけあって平安時代から星型なのかと思っていたのですが、日本には星を☆で表記する文化はなく、江戸時代の星図も星は○で表記されています。なので五芒星の紋がポッと平安時代に出てくるのは面白いなあと思っていたのですが、なんと。

 実はこの☆、星ではなくて桔梗の花だったのです。なんだって〜!!
 ということで清明神社の境内には桔梗が植えられています。たしかに花を正面から見ると☆です。
# しかしこれ、ブラック星博士の頭部みたい。

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特別展「明月記と最新宇宙像」(京都大学総合博物館)

 京都大学総合博物館で開催されている特別展特別展「明月記と最新宇宙像」(〜10月19日)を見学。期間中の9月17日〜28日は『明月記』の原本が展示されるというので、それに合わせて出かけてきました。

 『明月記』は藤原定家(1162〜1241)の日記。歴史上の著名な人物では、北条政子(1157〜1225)や源義経(1159〜1181)が同世代です。定家自身は歌人として名を残し、古文や日本史で高校レベルの教科書に登場します。
 天文分野で『明月記』が名高いのは、この中に超新星の記録が記されていること。特に1054年におうし座に出現した超新星(SN1054)はその残骸が、おうし座のかに星雲(M1)になっています。

 1054年は藤原頼通が平等院鳳凰堂を築いた前後。藤原摂関政治の最盛期ですが、定家が生きていた時代とは2世紀近く開きがあります。実は明月記の超新星の記録は、定家が陰陽師の安倍泰俊に問い合わせて、過去の観測例を引用したものです。

 記載があるのは1230年11月。定家は過去の「客星」の事例を安倍泰俊に尋ね、その返書がそのまま日記に貼られています。客星の記録部分は定家の直筆でなく、筆跡がまるで違っています。定家は書でも名を残した人ですが、素人目にはクセが強くて読みにくい字です。

 もともと漢字ばかりの漢文調で書かれている上に、星の名前も中国の星図によるものなので、知識があってこそ面白い展示と言えます。
 客星の観測例は8つ引かれているのですが、そのうちの3件が超新星(SN1006とSN1054とSN1181)とされています。

 なお定家直筆の『明月記』は国宝に指定されている文化財で、ふだんは定家の子孫の冷泉家(冷泉家時雨亭文庫)が保管しています。

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2014年09月07日

国立天文台水沢VLBI観測所

 1899年に置かれた水沢緯度観測所(当初は臨時緯度観測所)を前身とする水沢VLBI観測所は、国立天文台の中でも最も歴史の古い施設群です。
# 東京の三鷹キャンパスは関東大震災後の1924年に麻布(日本経緯度原点の場所)から移転。

 緯度観測はその後、地球回転の観測に発展。眼視天頂儀観測は1986年、写真天頂塔観測は1991年まで続けられました。現在は光学観測からVLBI(Very Long Baseline Interferometry:超長基線電波干渉法)による観測に軸足が移されています。VLBIは精密な測量はもちろん、天体の位置を高精度で検出できるため、位置天文学でも重要な役割を果たしています。

 現在の主力機器、VERA (VLBI Exploration of Radio Astrometry) の口径20m電波望遠鏡。2001年完成。1台のアンテナで 2つの天体を同時に観測できる「2ビームアンテナ」が特徴。主鏡中央部に突き出たフィドームに特製の観測装置が収められています。
 VERAは水沢、小笠原、入来(鹿児島)、石垣島の4ヶ所に20m鏡を設置してVLBI観測を行うもので、三角測量の原理で銀河系内の電波源の精密な位置測定を行っています。いわば銀河系の地図作りが当面のメインのお仕事。

 隣の10m電波望遠鏡(左)。電波望遠鏡としてはこちらが先輩で1992年の設置。
 初期のVLBI観測や技術開発に活躍。JAXAの臼田宇宙空間観測所にある10mアンテナとは兄弟機とか。そういえばよく似ています。

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posted by ふくだ at 23:51| Comment(2) | プラネ/天文台/科学館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

木村榮記念館

 国立天文台水沢VLBI観測所の敷地に木村榮記念館があります。
 木村榮(きむら・ひさし)は水沢緯度観測所の初代所長で、地球の自転軸の変動に係る「Z項」の発見で知られています。
 19世紀末に始まった地球の緯度変化を観測する国際プロジェクトに日本も参加。1899年に水沢での観測が始まります。明治維新から30年ちょっとの出来事。
# ちなみにそれに先立つこと15年の1884年、グリニッジ子午線を本初子午線に定めた国際子午線会議にも日本は参加しています。何かにつけて行動的な時代だったのだと思います。

 世界6ヶ所に設けられた観測所のうち、水沢のデータは他の地点と違いが大きく、当初は観測誤差を疑われました(なにせ当時の日本は新参者)。しかし装置や観測手法を点検して異常がないことを確認し、データを洗いなおした結果、緯度変化の計算式に新たな補正項を加えると観測結果をよく説明できることが分かりました。これがZ項で、その発見は近代日本天文学が初めて成し遂げた世界的な貢献でした。
# Z項の変化量は年間で1m程度。その原因が地球の内部の流体核であることが突き止められるのは1970年代でした。

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posted by ふくだ at 23:50| Comment(2) | プラネ/天文台/科学館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奥州宇宙遊学館(旧水沢緯度観測所本館)

 水沢緯度観測所(現:国立天文台水沢VLBI観測所)は1899年に開所。現在残っている旧本館は1921年の建設で、老朽化が進んで取り壊しが予定されていたものを、水沢市(現:奥州市)が引き取って展示施設として利用しているものです。水沢VLBI観測所のビジターセンター的な役割も兼ねています。

 最初に15分ほどの解説ビデオを見るように案内されます。
 15分は長いなぁと思いながら席に着いたのですが、これが緯度観測所の歴史からZ項の説明まで、よくまとまっています。面倒がらずに見るべきです。なるほど納得したところで展示室へ。以下の写真は私の趣味でピックアップ。

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posted by ふくだ at 23:49| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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