塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2014年09月07日

下ノ畑

 羅須地人協会の跡地、すなわち雨ニモマケズの詩碑は北上川をはるかに見下ろす高台にあります。
 「下ノ畑」は台地のすぐ下にあるのかと思いきや、そこから500mも離れた川べりなのでした。

 区画整理が行われたので、このあたり、というだけで賢治が耕した畑そのものが残っているわけではありません。
 とはいえ「下ノ畑二居リマス」とあれだけ見たら、下ノ畑に行ってみたくなるじゃないですか。
 ということで行ってみました。ちゃんと案内標が建てられていました。


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「雨ニモマケズ」詩碑

 羅須地人協会の建物がもともとあった場所に、「雨ニモマケズ」の詩碑が建てられています。高村光太郎の揮毫。
 碑には冒頭部分ではなく、「野原ノ松ノ林ノ蔭の……」からの後半部分が記されています。前半部分は裏側にあるのかと回りこんだら、何も刻まれていませんでした。最初から後半部を刻んだみたいです。

 子どもの頃に読んだときは「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」のところが、理解できなかったなぁ。「苦にもされず」はともかく「木偶の坊と呼ばれ」「褒められもせず」って、それで良かったのかなあと。
 分かるようになったのはずいぶん後になってからです。

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羅須地人協会

 羅須地人協会は宮沢賢治が開設した私塾で、また彼が晩年を過ごした家です。
 もともと別の場所にあったのですが、賢治の没後、売却されて現在地に移築され、そこが花巻農業高校の敷地となったため、整備・公開されたものです。
 玄関脇の「下ノ畑二居リマス」の白墨書きはいろんな写真で紹介されてます。一度は他人に渡った建物なので、後に書き起こしたものと思うのですが、飾らない人柄が忍ばれます。

 建物の一階は見学することが出来ます。講義用に使っていた板の間と、居室にしていたであろう畳の間。

 敷地内には賢治の銅像が建てられています。
 ここで学ぶ生徒たちがちょっと羨ましい。
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賢治設計の日時計花壇

 宮沢賢治記念館に隣接した公園に、賢治が設計した「日時計花壇」があります。
 もとは花巻温泉遊園地のために設計したものですが、諸般の事情でお蔵入りしてしまったものを、設計図を元にさいげんしたとのこと。ノーメン(影を作る棒)が垂直に立っているので正確さには欠けるのですが、そこを突っ込むのは野暮というものでしょう。
# 宮沢賢治なら日時計の基本的なしくみはわかっていたはず。

 花巻温泉にはバラ園があるのですが、そこにも日時計花壇がありました。あれ、ここの解説文には1927(昭和2)年に設置されて1976(昭和51)年に移設したとあります。庭園全体をつくるには至らなかったものの、一部は完成していたのでしょうか。

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2014年09月06日

イギリス海岸

 イギリス海岸は花巻市内の北上川の河岸で、ドーバー海峡の白亜の崖を思い起こす白い泥岩層がある事から賢治が名付けたものです。彼はここでクルミの化石を発掘したりしています。
 運転中に案内標識を見かけたので、寄ってみました。実は花巻は下調べを全くしていなくて、行き当たりばったりで行動しています。

 泥岩層は北上川の渇水期にしか姿を見せないそうで、上流にダムが出来た現在は四季を通じて流量調整が行われるため、ほとんど見えなくなったそうです。この日は前日に雨が降ったばかりですから、盛大に増水中。わっはっはっ。

 家族がクルミの実を拾い上げていたので、化石でも出たのかとアセりましたが(もちろん勝手に掘っちゃ駄目です)、川岸にクルミの木が植えてあるのでした。びっくりしたよ、もう。
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宮沢賢治記念館

 久慈を離れて岩手県を大縦断。花巻市の宮沢賢治記念館にやってきました。
 花巻は宮沢賢治が生まれた街で、またその生涯を閉じた地です。
 子どものころ、アホな私は「銀河鉄道999」の原作が「銀河鉄道の夜」だと思い込んでいたのはここだけの話。まあメーテルや鉄郎はともかく、惑星を訪ね回るような話を期待して読み始めて、あれ!?となったのでした。
 そのあとでますむらひろし版のアニメ映画を見て、ジョバンニとカンパネルラは猫だったのかと、しばらくの間いらぬ誤解をしたままだったり。

 宮沢賢治の思想と生涯を追う展示で、パネル中心の昔ながらの文学館という雰囲気。文字が多いので目を通すのが大変ですが、それだけ密度が濃いということでもあります。
 賢治と三陸地方の関わりの特別展を開催していて、久慈琥珀博物館からも資料が出展されていました(あそこで「貸出し中」になってたのはこれだったか)。

 そういえばISSへ持って行った銀河鉄道の夜のレプリカ原稿なんてのもありました。

 写真は同じ敷地にある食堂兼売店の「山猫軒」。店の名前を見て一人で盛大に噴きました。
 「注文の多い料理店」じゃないですか。
 そこの親子連れの皆さんそのお店はいっちゃだめですってば!
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北限の海女

 久慈市の小袖海岸では海女の素潜り漁が行われています。かつては漁村の暮らしを支えるものとして、現在は観光の一翼を担っています。とはいえ久慈は今でも交通の便がよいとは言えない場所。何ゆえ観光としての海女が成立したのか不思議でした。
 久慈市観光物産協会のサイトによると、1959(昭和34)年にNHKのラジオドラマで小袖の海女が取り上げられたのが観光客の注目を浴びるきっかけになったとのこと。ドラマのタイトル「北限の海女」がそのまま小袖の海女のキャッチフレーズとなりました。
 それにしても東北本線の電化・複線化が完了するのが1968(昭和43)年ですから、久慈までたどり着くのに当時はどれほどの時間がかかったことかと思います。


 久慈市の郊外から小袖海岸までは海縁の細い道が一筋だけ。大部分が1.5車線の道で、このためオンシーズンの土日祝はマイカー規制が行われ、久慈市内からパークオンライドの臨時バスが運行されています。
 駅前のバスターミナルが始発の停留所。岩手県北バスはユイとアキが家出を企てた場面でも登場しています。

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堀内駅(三陸鉄道北リアス線)

 三陸鉄道北リアス線堀内駅。「ほりない」と呼びます。
 1975年に国鉄久慈線の駅として営業開始。その後、1984年からは三陸鉄道北リアス線の駅となっています。
 「あまちゃん」の劇中では「袖ヶ浜駅」として登場。袖ヶ浜のモデルとなった小袖海岸は北リアス線から離れた場所にあるので、駅とその周辺は堀内駅でロケをしています。堀内駅は海を見下ろす高台にあり、漁村と漁港を抱えた景色は小袖海岸に通じるところがあります。イメージに合う駅をよく見つけたものだと思います。
 久慈に泊まった翌朝、早起きして朝食前に堀内駅まで出かけてきました。

 左写真は宮古方のトンネル。堀内駅は両側をトンネルに挟まれていますが、宮古方のトンネルははるか東京へ通じる鉄路です。ここに立って叫ぶ人、いるんだろうなぁ。
 右写真は「袖ヶ浜」の駅名標。観光用に立てられたものですが、フォントなど劇中のものをそのまま再現しています。サービス精神旺盛。

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久慈駅(三陸鉄道北リアス線)

 久慈に鉄道が開通したのは1930(昭和5)年。東北本線八戸駅から分岐して海沿いに南進した八戸線が到達しています。その後、1975(昭和50)年に久慈からさらに南の普代駅まで開通。事実上は八戸線の延長ながら、「久慈線」という別路線になりました。

 その後も宮古を目指して工事が進められていたのですが、久慈線は赤字ローカル線として廃止対象になり、延伸工事も中断。後に岩手県と地元市町村が引き取って、第三セクターの「三陸鉄道」として開業にこぎつけます。これが1984年で、JRの発足が1987年ですからそれに先立つこと3年。当初はしばらく黒字を出していたこともあって、廃止対象になった国鉄路線の運営のモデル的存在でした。

 とはいえ沿線の人口減少はいかんともしがたく、1994年に赤字転落。その後は沿線自治体の支援を受けながら経営改善を進めていきますが、2011年3月に東日本大震災で被災。5日後に一部区間で運転を再開し、3年を経た2014年4月に全線復旧します。
# 建設時期が新しい三陸鉄道は津波対策で線路が高いところに敷かれていたのも功を奏しました。

 久慈駅の駅舎前にある石碑。
 左は開通当時の市長による「三陸鉄道北リアス線ここに始まる」の言葉、右は「ふるさとの わが陸中よ 久慈駅の ホームに今ぞ 歓迎の人ら」という和歌。三陸鉄道にかける当時の期待の大きさが伺えます。

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2014年09月05日

ひろのまきば天文台

 せっかく岩手の北部まで行くのだから、天文関係の施設はあるかと調べたら、ありました。ひろのまきば天文台
 宿泊している久慈市の隣町、洋野町の山中で、久慈市内からの距離は約20km。金・土・日は夜間の観望会も開いているとのこと。

 この日昼間は雲が多い天気だったので、天文台はすっかり諦めていたのですが、夕食の後でふと窓の外を見たら、高校と月が輝いています。いつの間に晴れたんだ!?
 天文台に電話して、観望会をやっていることを確認すると、さっそくハンドルを握って出かけました。

 山中の道を延々と走り続け、少し開けたところで道の駅などの施設が集まった場所に出ます。そこで道を曲がって丘を登った先に天文台があります。まわりが草原で、360度視界を遮るものがありません。
 そしてなんと透明度のよいことか。月齢11の月があるのに、4等星は余裕、月のない方向は5等星もチラホラ見えています。天頂付近は天の川もごくごくうっすらと。
 いちばんびっくりしたのは北斗七星。この時期の宵の口は北極星の下側を通過しているのですが、ひしゃくをかたどる星が隠れることなく地平線の上に悠々と輝いています。そうか、ここは北緯40度を越えた地。明石に比べると緯度にして5度以上も北なのです。こんなところに来ているのだなと改めて実感です。

 到着した時には観望会が始まっていたので、すぐにドームに案内して頂きました。この夏はこの辺りも天候がよくなくて、久しぶりの観望好機とのこと。
 月、アルビレオ(はくちょう座β星)、M13、M57、M27、M15、M31、アルマク(アンドロメダ座γ星)……と口径51cmの反射望遠鏡で時間いっぱい、いろんな天体を見せて頂きました。いやあ、楽しかった!
# 星ばかり見ていたので、館内の他の展示などはほとんど見ないで閉館時刻になってしまったという。

 また月のないときに行ってみたいです。と書けるほどには関西からは近い場所ではないのですが、いいところでした。
posted by ふくだ at 23:53| Comment(0) | プラネ/天文台/科学館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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