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(2015.5.22 管理人 記)

2013年06月22日

手向山砲台(北九州市小倉北区)

 関門海峡は瀬戸内海の西の入り口を扼する重要交通路で、この防衛のため明治政府によって下関要塞が築かれました。要塞といっても単独の防衛施設ではなく、一定のエリアに砲台などの施設を集中的に配備したもので、「下関要塞」も対岸の門司側の施設もを含んでいます。

 手向山はU字状に曲がった関門海峡の頂点にあり、山が海に迫る要衝でした。
 1887年に砲台の工事が始まり、翌年に竣工。6座の砲台には1座辺り24cm臼砲が2門据え付けられ、海峡ににらみをきかせていました。ただし実戦に使われる機会はなかったそうです。
 砲台築造は日清・日露戦争の時期で、艦砲が脅威だった時代。日本本土を焼き尽くしたのは太平洋戦争末期の米軍爆撃機で、もはや砲台は時代から外れたものになっていました。

 武蔵・小次郎の碑のある山頂直下に砲台の遺構があり、台形のコンクリートの築造物が目につきます。これは砲台の倉庫で、砲座は倉庫の間の凹地を整形して設けられていました。砲座からは関門海峡を直視できないため、両翼に観測所が設けられましたが、先の記事で関門海峡を見渡した写真が、ほぼ観測所に相当する位置から撮影したものです。

 臼砲は山なりに砲弾を打ち出して、高い角度から敵陣に落下します。砲台は海峡と反対側の斜面にあるため、観測所からの指示を元に、山越しに砲撃を行うようになっていました。

 山の裏手にあるレンガ造りの建物跡。屋根は抜け落ちていて、壁だけが残っています。探照灯をともす電力を供給するための火力発電所の跡だそうです。



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posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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