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(2015.5.22 管理人 記)

2013年08月31日

二本松城

 二本松市は福島県中通りの北部、福島市と郡山市の中間にあります。
 市街地の北側に二本松城があります。山上の本丸と山麓の居館からなる平山城で、戦国時代は山上の本丸を使用し、織豊・江戸期に石垣造りに改築され、以降は山麓の居館(三の丸)が主に使われました。

 二本松には室町幕府の管領も勤めた畠山氏の一族(二本松氏)が入りましたが、早くに勢力を喪失。戦国末期には伊達・葦名・佐竹の狭間に生きる一豪族になっていました。のち伊達政宗の攻撃を受けて降伏しますが、この時の当主・二本松義継は伊達政宗の父・輝宗を拉致。政宗は父もろとも二本松義継を撃ち倒します。
 1986年の大河ドラマ『独眼竜政宗』で、為す術ない渡辺謙の伊達政宗に、北大路欣也の輝宗が「政宗、わしを討て!」と叫ぶ名場面。
 のち二本松城は怒り狂った伊達政宗の攻撃を受け、寡兵でよく耐えますが、9ヶ月後に落城、二本松氏も滅亡します。

 伊達政宗が仙台に移った後、江戸時代に入って丹羽氏10万国の居城となります。丹羽氏は織田信長の重臣だった丹羽長秀の後裔。
 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に帰属し、丹羽家の主力は白河口に出兵していました。白河小峰城をめぐって1868年4月から7月まで3ヶ月間の攻防が続き、その間に兵力を充実させた新政府軍は、7月29日に空き城同然の二本松城を攻撃します。
 留守部隊だけの二本松、最後は城に火をかけ家老全員が切腹するという、戦国時代のような壮絶な落城。
 歴史に残る落城を二度も経たことになります。

 山麓・三の丸の箕輪門。
 二本松城の建築物は戊辰戦争で消失し、現在の門は1982年に再建されたもの。近世はこの門で囲まれた山麓部が政庁として利用されました。

 箕輪門をくぐると、正面左手の石垣が補修中。二本松城も東日本大震災で被災し、あちこちで補修工事が行われています。石垣の石一つ一つに番号を振り、元通りに組み上げる大変な作業です。

 本当ならこのまま山頂まで登るところですが、家族も一緒だったので断念。車で山上へ向かいます。
 こちらは山頂直下の搦手門。石垣は近世のものです。

 搦手門の南側にある新城舘。西城とも言われていたそうで、伊達氏の支城だった時代は城番が在住していたそうです。大きな石碑は二本松少年隊顕彰碑。

 本丸の石垣は1993年から1996年にかけて整備が行われ、発掘調査の成果に基づいて崩壊していた部分が積み直されました。その後、東日本大震災でも被害を受けましたが、再度復旧。
 かつてはここに天守を模した天文台があったのですが、今は昔。

 天守台の下には発掘調査で検出された古い時代の石垣が移設されています。裏込石の様子がわかって面白いです。

 箕輪門外にある二本松少年隊の像。
 戊辰戦争の二本松の戦いで、兵力不足に陥った二本松側は15歳までの武士に出陣を許可しました。二本松は年齢のサバ読みを黙許する慣習があり、12歳の子どもまでが戦場に立ちました。当時は特別な隊名はなかったのですが、後世に「二本松少年隊」と称されます。12歳から17歳まで62人の少年が出陣、14人が戦死しました。

 戊辰戦争は全国各地が戦場になるのですが、家中が開城ではなく落城まで戦ったのは長岡と磐城平、二本松くらいかと思います。
 この二本松城、毎年秋に開催される菊人形展の会場となっています。この日も三の丸跡で準備が進められていました。敵を迎え撃つための城郭が、観光客を迎え入れるのですから、善き哉です。


posted by ふくだ at 23:47| Comment(4) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
旭川から羽田に戻って、また会津へ出兵されたのですか?
私たちはそのころ台風と前線の下関にいました。
レンタサイクルを借りて幕末の砲台跡を回ろうと計画していましたが、それどころではありませんでした。
しかし、雨の長府散策はけっこう良かったです。
博物館の学芸員さんにも情報を頂けて、予定外の砲台跡も回れました。
そのうちにブログで紹介予定です。

小峰城や会津若松城などは2006年にオカちゃんに連れて行って貰いましたが、二本松城は時間が無かったかでパスしています。
小峰城のあの特徴的な円形組の石垣も崩落してしまったわけですね。
上手に再建して欲しいです。
Posted by かすてん at 2013年09月08日 09:47
そうなのです。
羽田から茨城の田舎へ戻って、翌朝には奥州路を北上しました。
宿泊先だけは二本松の岳温泉を押さえていたのですが、ほかは行き当たりばったりで、気の向くままに攻城戦をやってしまいました。

二本松城はわりと早い段階で復旧に着手していますが、ここは長期的に遺構の整備を続けてきたタイミングだったので、震災前に調査が進んでいたのが功を奏したのだと思います。

小峰城は、復旧工事の案内看板によると、崩れた石垣の解体と、石材のカルテを作っている段階だそうです。こちらは調査を行いながら丁寧に進めている印象です。

今回は行ってないのですが、仙台城は苦労されてるようです。
・震災崩落の仙台城石垣、復旧工事「見切り発車」(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130905-OYT1T00374.htm
あそこは過去に何度も地震の被害を受けているので、判断が難しいところとは思います。
Posted by ふくだ at 2013年09月08日 10:22
僕が一昨年前に行ったときは、
まだ震災からの復旧が終わっておらず、
本丸には入れませんでした。
また行かねば…!

あのあたりはたしか浪江町の役所も移転してきていましたよね。

しかし、あの坂はもう一度登りたくないなぁ(笑)
Posted by つかだ at 2013年09月10日 19:37
二本松の阿武隈川挟んだ南側です>浪江町の事務所
道路走ってると仮設住宅も見かけます。

二本松城は、いちおう「平山城」の分類ですが、あれは山城ですよねぇ。城下町との比高が130mくらいあって、地形もそれなりに険しいですし。山麓の居館があるから平山城なのでしょうけれども。
Posted by ふくだ at 2013年09月11日 00:09
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