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(2015.5.22 管理人 記)

2014年03月07日

東大寺二月堂修二会

 東大寺二月堂修二会のお松明を見てきました。
 一般には「お水取り」として知られる行事ですが、これを含む一連の行を「修二会(しゅにえ)」と呼びます。観世音菩薩に罪を悔い改め、人々の幸せを願う行事です。
 東大寺創建ほどない752年に始まり、兵火で東大寺の伽藍が灰燼に帰した時も、太平洋戦争の最中も絶えることなく続いてきました。今年(2014年)で1263回目。
 3月1日から14日までが本行、それに先立って2月半ばから「別火」と呼ばれる前行が始まり、全体で一ヶ月近くに及ぶ長い行事です。

 「お水取り」は修二会の最中、3月12日の深夜(13日未明)に観世音菩薩に供える水を汲む儀式で、この日はひときわ大きな松明が灯されます。「お水取り」の名が広まったのはこのためかと思うのですが、この日以外も修二会の本業の間は毎夕、松明が掲げられています。

 私は司馬遼太郎「街道をゆく」の「奈良散歩」で修二会を知りました。
 奈良からさほど遠くない場所に住んでいることもあり、一度は参観したいと思っていたのですが、年度末近い時期でバタバタしたまま年月が過ぎてしまいました。そして、思い立ったが吉日です。

 神戸を発ったのは昼過ぎ。ときおり太陽が姿を見せたかと思えば、そのすぐ後に雪が舞い降りる慌ただしい天気。
 風こそ穏やかでしたが、3月とは思えぬ厳寒の奈良。そんな中でも鹿は冬毛が抜けて春の衣替えを迎えています。寒くないのかしらん。

 二月堂へ向かう参道は、両脇に竹格子が組まれています。これは修二会の時期だけの風景。この写真で正面に見えているお堂は三月堂。2011年8月から長期の修復工事が行われていましたが、2013年5月から拝観が再開されています。

 二月堂もすっかり竹格子で囲われています。
 修二会に参加する僧侶は「練行衆」と呼ばれ、前行の期間からご飯を炊く火も他の人と別のものを使うなど、世間と切り離された厳しい規律の日々を送っています。
 こうして囲われると二月堂自体が隔絶されたようにも見えるのですが、これは参拝客の整理のためで、お松明の時間以外は通常通り参拝できます。

 二月堂に掲げられている行事案内。
 修二会の「二」は2月のこと。もともと旧暦2月の行でしたが、現在は月遅れで3月に行われています。2月に行われた理由ははっきりしていないそうですが、「街道をゆく・奈良散歩」ではインドの正月に合わせたという説を紹介しています。3月の春分を年の始まりとする習慣は今も西アジアに残っていて、なるほどという気はします。

 期間中、3月1〜11日と13日は19時にお松明が始まります。お寺の方に伺うと「夕方6時くらいに来て頂ければまず大丈夫」とのこと。平日なので混み具合もほどほどなのかもしれません。
 写真は17時半ごろの様子。二月堂の舞台下の斜面は階段状に整地されていて、平らになった場所で参観します。この区域は人がいっぱいになった時点で閉鎖され、お松明が終わるまでの出入りができなくなります。カメラを抱えた人は全体を見渡すためか、後ろの方に陣取っています。基本的に三脚・一脚・フラッシュの使用は禁じられていて、三脚を立てる場合は二月堂から離れた一角のみが許可エリアになっています。
 一方、最前列の竹格子沿いにも人がズラリ。修二会のお松明の火の粉をかぶると無病息災で過ごせるというご利益があるそうで、おそらくはその期待も込めての参観でしょう。

 太陽高度が低くなり、二月堂はさらに燃えるような紅さに染まります。
 やがて大仏殿の屋根に日が沈みます。これはきれいでした。

 18時を過ぎると急に人が増えてきます。二月堂の舞台下はいつの間にか人がいっぱい。開山堂の辺りまで人並みが続いています。
 二月堂には大観音と小観音の2つのご本尊があり、最初の7日は大観音、後半7日は小観音を本尊に行が行われます。3月7日はこの切り替えの日にあたり、18時から堂内で雅楽が演奏されているのが聴こえてきました。

 練行衆が控える参籠宿所と二月堂を結ぶ階段を人々が行き交います。練行衆は11人ですが、その周囲の多くの人々が行を支えます。

 18時半になると、はるか三月堂や四月堂の辺りまで人で埋め尽くされます。
 18時40分、境内のスピーカーから修二会の解説と参観の諸注意が流れます。
 夜の帳が下りた二月堂。頭上には上弦前の月と木星、冬の星々。

 19時。
 周囲の照明がすべて落とされ、辺りはほのかな月明かりに沈みます。残る灯火は二月堂本堂の灯籠のみ。
 低い鐘の音がいくども境内に響き渡ります。
 参籠宿所と二月堂を結ぶ階段を、小さな松明を持った人々が昇り降りします。準備が整ったかの確認です。

 やがて通路の天井を焦がさんばかりの大きな松明が昇ってきます。一人の童子(職名・子どもにあらず)が松明を持ち、もう一人が落ちた火の粉をほうきで払います。あとに練行衆が一人続いて階段を登っていきます。
# この写真は何人目かのもの。いちばん最初はただ肉眼で見ていました。

 階段を登り切った練行衆がお堂に入ると、お松明は二月堂の舞台の表に回って、火の粉を振りかざしながら駆けていきます。
 お松明が高く掲げられ、ぐるんぐるんと回る度にどよめきと歓声が湧き上がります。

 舞台に上がったお松明は北の角にしばらく留まります。やがて次のお松明が昇ってしばらくすると、舞台の上を北から南に駆け抜けます。舞台の南の角に着くと次のお松明が北の角に姿を現します。

 階段を昇るお松明。
 屋根に届かんばかりの炎で、数メートル離れて見ている私も輻射熱で暖かみを感じるほど。

 舞台を駆けるお松明。童子によってあっさり駆ける人もいれば、ぶるんぶるん振り回しながら駆ける人もいます。
 今回は初めての参観なので、まずは自分の目で見ようとカメラは持って行きませんでした。写真はiPhone5sのカメラで撮っていますが、お松明が豪快に明るいので、とりあえず写すだけならなんとかなります。でも本気の写真を撮るならば、階調表現豊かな一眼デジタルカメラが欲しいところ。
 写真では炎は白く飛んでいますが、実際は松の脂分が燃え上がる紅い炎です。

 練行衆は11人ですが、一人は先に上がって準備をしているので、お松明は10本(12日のお水取りの日だけ11本)。
 最後のお松明が駆けて行くまで30分弱。

 この日最後の10本目のお松明。奥に見えている星はシリウスです。月明かりと星空のもとのお松明でした。

 お松明が終わると一斉に人並みが引いていきます。
 一方で、二月堂舞台の下ではお松明の燃え残りを集める人々も。燃え残りをお守りにするのだそうです。ただ今回はほとんど風のない状態で行われたため、火の粉の燃え残りは大部分が竹格子の内側に落ちてしまい、あまり回収できなかったようです。「今日はうまいこと燃やしたなあ」と溜息混じりの声。

 竹格子の中では消防の法被を来た方々が、お松明が出ている時から火の粉の掃除をしていました。
 なにせ二月堂は江戸時代の修二会の最中に炎上焼失した前歴があります(1667年)。この時はお松明でなく韃靼の行でしたが、とにかく大きな火を扱う上に、周りが文化財だらけ(そもそも二月堂が国宝)なので、火災にはことさら気を使われているようです。


 お松明のあとは二月堂の立ち入り規制が解除され、参拝できるようになります。二月堂の舞台は朝のJR神戸線かという人並みでごった返しますが、これもまた人々が寄せる思いの現れなのかもしれません。

 練行衆の行はここからが本番。堂内に耳を傾けると、かすかに声明が聴こえてきます。
 舞台の下を振り返ると先ほどの人並みは既になく、遠く奈良の夜景が広がります。

 春寒の弥生、けれども修二会が終わる頃には寒さも解け、関西に本格的な春がやってきます。
 願わくば、修二会の祈りが、多くの人々に届かんことを。


posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 地図と地理と遠出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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