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(2015.5.22 管理人 記)

2014年07月07日

軍師官兵衛・その9

 備中高松城は織田と毛利の最大の決戦場になるかもしれない攻防戦でした。
 備前(岡山)の宇喜多が織田に付いた段階で、備中高松城は毛利勢力圏の最前線。伊丹の荒木村重や三木の別所長治には援軍を出せなかった毛利ですが、高松城を見捨てれば勢力圏下の中小豪族が雪崩を打って織田に寝返る可能性があります。

 吉川元春は高松城から足守川を挟んだ庚申山、小早川隆景はその南の日差山に着陣。毛利輝元の本陣は20km西方の猿掛城ですが、一日で高松城に駆けつけられる距離です。

 毛利勢は4万、羽柴勢は2万と宇喜多の1万を合わせて3万と言いますが、この手の数字はたいがい大きめに伝わるので、実際はどの程度だったか。ただ毛利輝元と吉川元春、小早川隆景が駒を並べて出陣したことからも、毛利としては動員可能な兵力をほとんどつぎ込んできたのでしょう。

 兵数は毛利勢が多いのですが、堤防と人工湖に囲まれた高松城に手が出ません。城を囲む羽柴勢を攻めようにも、堤防を切られたら自軍が濁流に飲まれる可能性があります。
 羽柴勢も、高松城の包囲を維持しながら毛利の援軍に立ち向かうのは博打に過ぎます。包囲を続けて高松城を落とした後なら毛利援軍との決戦も可能ですが、兵力が劣る状態で危ない橋を渡らずに信長に援軍を要請したのは当然の判断です。

 信長の本隊が到着したら、兵力も織田勢が上回り、いよいよ毛利に勝ち目がありません。
 戦いに負けて全てを失うより、先に領土を譲って毛利家を保つ和睦のほうが「まし」と合理的な割り切りができるのは流石です。

 五ヶ国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)割譲と清水宗治の首をかけて和平交渉が始まるのは、こんな詰将棋のような情勢判断の末。それまで鳥取県と岡山県のそれぞれ西半分までは毛利の勢力圏でしたが、これが島根県と広島県のそれぞれ西半分まで後退することになります。
 清水宗治の首は互いの面子です。秀吉は織田が勝った上での和睦としたいので城主の宗治に死んでもらわねばなりません。毛利としては決着が付く前の和睦にしたいので宗治を殺すわけにはいきません。彼の生死で和睦後の力関係が変わってしまうのです。

 宗治が織田に寝返って降伏するというのはウルトラC級の寝技。織田としては勝った形を取れますし、毛利としても城主が寝返ったのなら仕方がないという立場で直接の負けを認めずに済みます。
 劇中、官兵衛が提案して小早川隆景と安国寺恵瓊が乗ったことになっていますが、お主らワルです。

 そんな膠着状態の中で、運命の天正10(1582)年6月を迎えます。



 今回初登場の徳川家康、劇中では寺尾聡が演じていますが、いくらなんでも年取りすぎです。
 ちなみに織田信長の生年は1534年、羽柴秀吉が1537年、徳川家康が1543年、黒田官兵衛が1546年。
 本能寺の変の時点で、信長49歳、秀吉45歳、家康40歳、官兵衛37歳です。
 関ヶ原前後の老獪な家康を想定しての配役でしょうが、江口洋介の信長と並べると違和感ありすぎです。

 若いころの家康は実直なイメージがあるので、初手から暗黒面の雰囲気を漂わせる今回の家康は、うーむ、どうなんだろ。長寿丸改め黒田長政がこの先いいように手玉に取られそうで心配でなりません。

 これまで暗黒面を担ってきた小早川隆景が話のわかる知恵者に転じつつあるので、新たなダークサイド役を家康に担わせるのでしょうか。安国寺恵瓊は最後までダークサイドで行きそうな気がしますけれども。

 過去に家康を演じた人では、典型的なタヌキおやじイメージだと『独眼竜政宗』の津川雅彦、実直ながらも底知れぬ雰囲気では『功名が辻』の西田敏行が好きでした。さて今回はどうなることやら。


posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 読書録・映画録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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