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(2015.5.22 管理人 記)

2014年08月02日

蛙が鼻築堤跡(岡山市北区)

 羽柴秀吉の高松城水攻めの堤防遺構が、蛙が鼻築堤跡です。
 現在残っているのは、幅10m・高さ4m・長さ20mほど。堤防が山に接続するところで、元の堤防のほんのごく一部。

 周囲はかつての堤防の幅にそって公園化されています。発掘調査で明らかになった堤防の基底は22〜24m。現在、地上に残る遺構のほぼ倍の幅があったことになります。

 発掘調査時のトレンチの一つが保存展示されています。堤防の端の杭や、積み上げた俵の跡(復元)が公開されています。
 これは良い展示。

 道路を挟んだ公園の反対側にも築堤跡が伸びています。水田の向こう、一段高い草むらがそれ。
 元々はもっと長い区間の堤防が残っていたそうですが、吉備線の工事で盛り土が削られてしまい、現存しないそうです(高松城址公園資料館のボランティアのお話)

 軍記物では基底12間(約22m)・高さ4間(約7m)・延長3kmに渡って築かれたとされている築堤ですが、現在は「そこまで大規模な堤防ではなかった」とする説が有力です。


 高松城周辺は三方を山に囲まれた谷中の低地ですが、実は開けているようにみえる南西側も自然堤防状の微高地が伸びていて、城を中心とした浅い盆地になっています(上図の微高地は大雑把に描画)。このため地形を詳細に検討すると、盆地の出口となる蛙が鼻の低地を塞げば水攻めが成立するとされています。この場合の堤防の長さは数百m〜1km強と説によるバラつきがありますが、12日間で完成したということを考えればこちらのほうが無理がありません(それでも突貫工事には変わりないです)。
# 3kmの堤防を2週間弱で作るのは現在の重機を投入しても無茶です。

 高松城址公園の資料館には1985年の水害で冠水した高松城一帯の俯瞰写真が展示されています。それを見て「あれ、堤防ないのに水浸しになってるよ、この周辺」と思ったですが、実はもともとそういう地形だったということ。

 とりあえずネットで見つけた文献をいくつか。

高松城址水攻めに関する地理的考察」(片山和正,香川地理学会,2007)(PDF)
 高松城周辺の微地形を等高線入りで検討した地図があります。

備中高松城水攻め築堤跡一高松城水攻め築堤公園建設に伴う確認調査−(2008年3月岡山市教育委員会)(PDF)
 蛙が鼻築堤の発掘調査報告書。17ページ以降が調査の成果と既存の研究をまとめた「結語」になっています。
 蛙が鼻から備中高松駅付近までの300m区間に強固な堤防を築き、残りの区間は微高地を小規模な築堤でつないだ説を取っていますが、現地を歩いた印象でもこれが現実的な線かなという印象を受けました。

 いずれにせよ微妙な土地の起伏なので、これを見抜いて、梅雨を考慮して水攻めを仕掛けた羽柴勢の戦術眼には舌を巻くばかりです。


posted by ふくだ at 23:46| Comment(2) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
番組を見る前にこれらの地図を見ておけば良かったなぁ。
秀吉の陣はどこに置かれたのですか?
Posted by かすてん at 2014年08月08日 12:20
高松城水攻めの景観復元は歴史地理学的にも面白い対象だと思います。

NHKでも今回は「12日間で300mの堤を作ったという説」で築堤のロケを行ったそうです。
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/special/special_45.html

秀吉の本陣ですが、本文中の地図を一段拡大すると、高松城の東南東の山中に「太閤岩」という表記が出てきます。その82mの標高点だと思います。
Posted by ふくだ at 2014年08月08日 19:52
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