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(2015.5.22 管理人 記)

2014年09月27日

冷泉家・藤原定家墓所

 『明月記』を記した藤原定家の子孫は冷泉家を名乗り、歌道を司る家として明治維新まで続きました。
 京都御所の北側、同志社大学のキャンパスに囲まれた場所に冷泉家の邸宅があります。『明月記』をはじめ多くの古文書を持つ家で、維新後も京都に残ったため関東大震災や東京の空襲に遭わずに、現代まで伝えられました。
 現在の住宅は江戸時代後期に再建されたもので国の重要文化財(通常非公開)。伝来の古文書ともども冷泉家当主を理事長とする公益財団法人冷泉家時雨亭文庫が管理しています。

 藤原定家の墓所は同志社大学の北側、相国寺にあります。相国寺は足利義満が創建したので、定家没後120年を経た時代。定家のお墓が先にあったのか、どこからか改葬したのかは分かりません。
 墓地は関係者以外の立ち入りはご遠慮くださいと札が立っているのですが、お寺の方に定家の墓のお参りに来たと告げると了解してくださいました。
 隣にあるのが足利義政(室町幕府8代将軍)で、さらに隣に伊藤若冲(江戸時代の絵師)のお墓。教科書クラスの有名人が並んでいてびっくりですが、和歌に東山文化のパトロンに絵師と、名だたる文化人が並んでいるのも不思議な感じ。『明月記』をめぐる散歩はこの墓所の参詣で一区切りとします。

 同じ敷地に藤原頼長(保元の乱の崇徳上皇方の当事者)の墓所もあるそうですが、こちらは気付きませんでした。頼長も学問好きな人なので、大学の隣で供養されているのはちょっとホッとする気がします。


posted by ふくだ at 23:47| Comment(0) | 地図と地理と遠出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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