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(2015.5.22 管理人 記)

2015年03月13日

プラネタリウム20,000日

 明石市立天文科学館のプラネタリウム投影機、カールツァイス・イエナUPP23/3が稼働20,000日を迎えました。稼働日数ではすでに日本一を更新し続けているので、その途上の一つの節目になります。
# 年数の区切りは思い浮かべやすいですが、日数の区切りとは考えたものです。

 20,000日を迎えた3月13日、記念イベントの一つ「プラネタリウム20,000日!語らナイト」が開催されました。
 プログラムは講演3本。進行の井上さんも最初から時間通りに終わらない雰囲気を漂わせています。

 トップバッターは大阪市立科学館の渡部義也さん。「大阪市立電気科学館の誕生日」ということで、実は日本最初のプラネタリウムだった大阪市立電気科学館の開館日が奇しくも3月13日。1937年のことですから2015年から遡ること78年前。電気科学館にプラネタリウムが入ることが決まったのはかなり後の段階で、元はスケートリンクを作る予定だったとか、建設が始まってから図面を引き直したとか、なんだそれは。1945年3月13日には大阪大空襲に遭いますが、電気科学館は奇跡的に焼け残り、1989年の閉館まで星を映し続けました。

 続いては天文科学館の館長を長らく務められた河野謙三さん。開館前に地域の天文ファンを集めて話を伺う機会を設けたとか、ツァイス・イエナの投影機は名古屋に導入される予定だったものが伊勢湾台風の影響でキャンセルされて明石にやってきたとか、入館者を増やすために学習投影を行ったとか、当時のさまざまなエピソードをご紹介いただきました。

 最後は現館長の長尾高明さん。
 20,000日・55年弱の歴史の中でも1995年の阪神・淡路大震災は大きな危機でした。プラネタリウムのエンジニアだった長尾さんは天文科学館が再開するまでの3年2ヶ月間、投影機の灯を守り続けてきました。
 建物は大破、展示物のほとんどが破損した中で唯一無事だったのがツァイス投影機。
 けれどもドーム内のスクリーンは貼り替え、椅子も取り替えなければならない状態。工事中にトラブル(モノが落ちてくるとかホコリが入るとか)が起こらないよう、投影機と解説台の周りにそれぞれコンパネ張りの小屋を組んで保護。また電気の接点のスリップリングは動かしていないと錆びたり固着したりするので、毎日、小屋の中で通電して電球を灯し、モーターを回します。工事の最中に配線を切断する事故が起こるとも限らないので、その確認の意味もあったそうです。
 天文科学館の再開は明石海峡大橋の開通(1998年4月)に合わせて1998年3月にすることが決まっていましたが、それまでに投影機が止まってしまっては大変。来る日も来る日も一人でツァイスの星を見続けた知られざる日々のお話でした。
# 営業していない期間はあれども、それを含めての20,000日なのだと改めて思いました。

 この時点ですでに8時半近くで予定通りに進行遅れまくり。
 休憩を挟んで、今度は開館当時を知る市民2人から当時のお話。

 そしてサプライズで河野元館長と菅野松男元副館長による星空解説。
 アマチュア天文家の間では著名なお二方ですが(なにせ関東に住んでいた私もお名前を存じ上げてました)、河野さんは震災直後の1995年3月、菅野さんは再開直後の1998年3月に天文科学館を離れられています。なので震災後に関西に移った私はお二方が解説台に立つ姿を見るのははじめて。
 河野さんは格調高い昭和の名調子、菅野さんは今にも通じる分かりやすい語り口。
 なにせ投影機は当時のままですから、いやもうこれは嬉しいサプライズイベントです。

 すべてのプログラムが終わった後は記念撮影タイムということでしばらくドーム内が開放されていましたが、話が尽きることはなく、最後の最後まで残ったメンバーで記念撮影して、その後まだ少しお話して、やっとこ解散したのでした。

 投影機が素晴らしいこともあるのですが、それに携わる人あってのプラネタリウム。
 20,000日はひとつの節目ですが、これからも星が好きな仲間が集い、また新しい仲間が生まれる天文科学館であってほしいです。


posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | 明石市立天文科学館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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