

敷地のほぼ全面に渡って調査が進み、2015年1月にはこれまでの内堀と外堀が見つかったところまでの現地説明会が行われました。
調査期間が2015年3月末ということで、これで埋め戻して終わりかな、と思っていたのですが、まだ出てきたのです。なんと天守台が。
・「織田信長の西国進出拠点“発見” 神戸の兵庫津遺跡」(2015.3.27神戸新聞)


地下鉄海岸線の中央市場駅に現地説明会の案内掲示が出ています。
発掘現場に着くと、前回公開されていた外堀のうち、南側の部分はすでに埋め戻されていました。今回、天守台とされる石垣が見つかったのは本丸の北東隅。

今回新たに見つかった石垣は緑の線の部分。これまでに確認されていた内堀より、さらに堀幅が広かったことになります。


ところが今回新たに見つかった石垣は、胴木があり、裏込め石もたっぷり仕込まれています(右写真)。ここだけ念入りに石垣を組んでいたということは、石垣の上に重量のある建物が建っていた可能性が高い。新しい技術だった胴木が使われていたことは、兵庫城が地域の拠点としてそれなりに重視されていたことを示唆する遺構です。


出土した胴木の乾燥を防ぐために定期的に散水を行っていらっしゃいました。


建物の遺構面は後世の工事で削られているので、現状から平面規模は分かりません。ただ堀の埋め立てに使われた土砂からは瓦が見つかっているので、それなりの建物はあったのだろうと推測できます。
# とはいえ天守台とは思い切った推定をしたものです。





冒頭にも書いたとおり、兵庫城跡の発掘調査は2015年3月末で終了し、この場所にはイオンモールが建設されます。
これだけの遺構が目に触れない形になっていくのは残念ですが、そもそも開発に伴う調査で今に残る兵庫城の遺構が明らかになったという経緯があります。以前は新川運河の開削と後の市街化で完全に消滅したと考えられていました。
今回見つかった石垣は埋め戻されてそのまま地下で保存されるとのこと。上に建物が立つ場所ではないので、今はともかく将来的に遺跡公園のような形で整備して公開されると嬉しいです。