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(2015.5.22 管理人 記)

2015年05月02日

水戸城

 水戸城を見学してきました。
 水戸徳川家といえば御三家の一つにして水戸黄門こと徳川光圀を輩出した名門です。
 幕末は尊王攘夷の先駆けとなり、突っ走った挙句に家中で内戦が起こって維新の頃にはボロボロになっていたというのがいかにも茨城県。

 水戸徳川家の前は鎌倉以来の名門、佐竹氏の居城でした。佐竹氏の前は江戸氏、馬場氏と遡りますが、北の那珂川と南の千波湖に挟まれた台地上の要害の地でした。
 石垣が築かれず、櫓も少なかったことから「簡素な城」と紹介されることが多いのですが、台地は高く、堀は深く、規模も壮大。三の丸から本丸の先端まで1km以上あり、ほぼ姫路城の中濠以内に相当する広さがあります。

 二の丸と三の丸の間に掛かる橋。三の丸は旧県庁に水戸警察署などの官公庁エリアになっています。旧藩校の弘道館も三の丸。二の丸は茨城大学付属小学校・県立水戸三高・市立水戸第二中が占める文教地区。天守代わりの御三階櫓(1945年の空襲で消失)も二の丸にありました。
 二の丸と三の丸の間は深い空堀で県道232号線に転用されています。

 本丸と二の丸の間に掛かる本城橋。本丸は県立水戸一高の敷地になっています。
 本丸と二の丸の間の空堀、こちらはJR水郡線に転用されています。鉄道工事の際にどの程度手を加えたのか分かりませんが、幅だけでも相当なもの。パッと見「お城」っぽく見えないので損をしている印象。

 本丸に残る薬医門。薬医門は門の名称というより建築物としての形式で、もとは本丸入口の橋詰御門だったと推定されています。市街地に移築されていたものを、再度、城内に移築。茨城県指定重要文化財。

 二の丸に立つ「大日本史編纂之地」石碑。徳川光圀の歴史的な功績は「大日本史」編纂に着手したことで、最終的に完成したのが1906年という260年に及んだ長期間プロジェクト。この脇に水戸城の資料館があり、発掘調査の出土品などが無料で公開されています。

 中学校の前を歩いていたら、薙刀を担いだ生徒が続々と下校してきて、かつての弘道館もかくあったかという光景でした。建物は失われましたが、文教地区になったことで、雰囲気が保たれた城跡だと思います。


posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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