塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2015年03月23日

“子午線を創造する”展

 アスピア明石で開催されている(〜2015.3.24)「“子午線を創造する”展」を見てきました。
 神戸新聞の明石版で「トキのまち明石から」と題した子午線をテーマにした連載記事があり、2014年11月に掲載された第三部で、子午線をテーマにした若手アーティストの創作作品を紹介。
 今回は記事で取り上げられた作品が一堂に会しての展示です。

 私の場合、子午線といえば天文か地理かどちらかのアプローチしかしないのですが、芸術やってる方々の手にかかるとあれこれ飛びまくった解釈をされていて楽しいです。
 直感的に「なるほど!」と分かるものもあれば、「これのどこが子午線やねん?」という作品もあります。作品の脇には連載当時の記事が添えられていて、それを読むと作者の込めた思いが分かるのですが、自分なりに読み解いたことと作者の意図が一致していると、気持ちが通じあったようで嬉しかったりします。ぜんっぜん分からないものでも「そういう切り口で来たか!」とそれはそれで面白い。

 個人的には精緻なネイルアートに心惹かれました。これは実物見ると造形の素晴らしさに感動します。
# いやまあ私が身につけるわけにはまいりませんけれども。

 今回「おおっ、明日までやんか。あ、最終日は17時終了か、今日の仕事帰りに見に行くしかないやんか」と慌てて寄ったのですが、また別の機会も検討されていらっしゃるとかで、子午線ファンとしては多くの人に楽しんでいただければ嬉しいなと思います。


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2014年11月23日

FIRE関西限定ミルクカフェオレ

 関西限定ということで、缶に府県ごとのフレーズが印刷されています。兵庫県は「標準時子午線に立って」ということで、神戸でも姫路城でもなく何ゆえ標準時子午線なのかは謎ですが看過するわけにはまいりません。

 ということで、日本標準時子午線の上でパチリ。
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2014年10月25日

但東町栗尾の子午線標識(2014年)

 但東町(現豊岡市)栗尾の子午線標識。交通安全の看板を兼ねていて、毎年、干支に合わせて架け替えられます。で、標語が毎年、干支に合わせたダジャレになってます。
 子午線にあるものはダジャレで通じ合うのか……

 出張帰りの車内から撮ったのでブレブレですが、これが限界でした(写真撮るために車停めてくれとは言えなかった)。
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2013年04月14日

久々に本館更新

 東経135度子午線を訪ねての、明石市を更新。昨年(2012年)6月に開局した明石子午線郵便局を追加しました。
 また同コーナー内の「東経135度の地図」を削除しました。リンクしていた国土地理院「ウオッちず」が電子国土に切り替えられ、リンク形式が変更になり、使えなくなっていたためです。
 各子午線標識のウォッちずへのリンクも全滅。全部書き換えるのかと思うと気が滅入ります。

 GoogleMapsやYahoo!地図は、地図の仕様を変更しても、古いURLを自動変換して表示してくれます。Yahoo!地図に至っては、日本測地系で示した経緯度を世界測地系に変換して表示してくれる親切さ。これに比べて我が国土地理院は……
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2012年03月15日

さよなら明石市営バス

 2012年3月16日をもって、明石市営バスが61年の歴史に幕を閉じ、神姫バスと山陽バスに路線を委譲します。
 ここは天文のサイトで市営バスの動向は関係なさそうなものですが、あるのです。



 左上が「天文科学館(時計図)」、右上が「旧観光バス塗装(大橋図)」。
 左下が「時のウィーク(トンボ)」、右下が「もっとふれあい・もっとささえあい AKASHI・未来へ(国保等)」。

 いずれのラッピング車両も天文科学館や日本標準時子午線をデザインに取り入れています。子午線紹介のサイトを運営しているので、この辺りの写真はすでに押さえてあります。
 しかし、実は天文科学館ラッピング車の屋根上に「135°E」のロゴタイプが描かれていて、その写真は撮っていないままでした。いつでも撮れると後回しにしていたのですが、営業終了とあっては悠長に構えていられません。

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2012年01月01日

鈴木貫太郎墓(千葉県野田市)

 鈴木貫太郎といえば、兵庫県西脇市に立つ経緯度交点「東經百三十五度北緯三十五度交叉點海抜六十三米標識」碑の揮毫をした人です。
 2011年末にNHKで放映されたドラマ「坂の上の雲」の一シーンにも登場。子午線標識の関係者がNHKの看板ドラマに登場するとは、椅子から滑り落ちそうな驚きでした。実際は椅子ではなく、帰省先でホットカーペットに寝転がって見ていたわけですが、細かいことは気にしないことにします。
 思い立って、墓参してきました。

 実はこの人、千葉の関宿の人で、墓も関宿の実相寺にあります。関宿は私の郷里の隣町。
 旧市街を車で抜けるときに、いつも目にしていたのが「鈴木貫太郎記念館」の看板。子どもの頃、「鈴木貫太郎って何したなの人?」と親に尋ねると、「昔の総理大臣」とのこと。こんな田舎町から総理大臣が出たのかと、驚いたものでした。

 次にその名前を聞いたのは、司馬遼太郎「坂の上の雲」。日露戦争時の駆逐隊司令として登場し、日本海海戦で沈めた戦艦3隻、巡洋艦2隻、って総理大臣のイメージじゃないんですけど。

 その後、海軍で累進し、大正期に海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任。西脇の子午線交点碑の揮毫はその頃のものです。測量といえば陸軍参謀本部陸地測量部の仕事ですが、なぜに海軍の鈴木貫太郎に揮毫を頼んだのかはちょっと不思議。

 その後、二・二六事件で青年将校の襲撃を受けながら九死に一生を得て、終戦直前に首相となって終戦工作に当たり、8月15日に宮城事件で襲撃されながらも難を逃れ、ボツダム宣言の受諾発表に至り、内閣総辞職。その後は関宿に隠棲しましたが、波乱万丈極まりない晩年でした。
# 日露戦争で前線にいた人なので、太平洋戦争の終結時は77歳。首相就任時最高齢記録保持者。

 野田市関宿には鈴木の晩年の住居跡と、その隣に記念館があります。帰郷後の短い余生は、地元の青年に農事指導をして過ごしたといいます。
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2010年12月27日

「さまよえる子午線」記述修正

 うちの子午線のサイトの「さまよえる子午線」というページですが、吉野さんからご指摘を頂きまして、数値を修正しました。基本的なところなので、改めてこちらでもお知らせ。
# ご指摘のメールを頂いたのは一ヶ月も前なのですけど、今の今まで……m(_ _)m

明石の子午線は1928年と1951年の2回、天文測量が行われているのですが、1951年の再測量では1928年の最初の測量より、子午線の位置が11.1m東になりました。
(誤)「天文経度の東経135度子午線は、1928年の観測より11.4m東」
(正)「天文経度の東経135度子午線は、1928年の観測より11.1m東」

 この11.1mを経度と時間に換算すると、経度にして約0.4秒、時間にすると約0.03秒になります。
(誤)「経度にして約2秒強、時間にすると約0.15秒に相当」
(正)「経度にして約0.4秒、時間にすると約0.03秒に相当」

 0.03秒がどういう差かというと、デジタルビデオ(NTSC)が29.97フレーム/秒なので、ビデオの一コマ程度の違いしかありません。あらためてすごい精度で観測していたのだなと思います。
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2010年10月30日

子午線標識建立100周年記念式典

 子午線標識建立100周年記念式典の記事を本館に掲載しました。
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2010年10月21日

10月30日は子午線標識100周年

 1910年10月30日、明石郡校長会の呼びかけで、明石市相生町(現在の天文町2丁目)と平野村黒田(現在の神戸市西区平野町黒田)の2ヶ所に「大日本中央標準時通過地子午線通過地識標」が建てられました。費用は明石郡内の教員が月給の1.5%を寄付してまかなったそうです。

 それからまもなく100年が過ぎようとしています。

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2010年09月03日

友ヶ島遠征(3年ぶり3回目)

 友ヶ島に行って来ました。日本標準時子午線通過最南端の地です。
 最初に行ったときには子午線のかけらくらいしかなかったのに、2007年の2回目の時は、ついに子午線標識が建立されました。そのまま大人しくしてくれればよかったのに、なんと2008年10月に子午線標識を立て替えてしまったのです。
 これは行かねばなりますまい。と思いながらはや2年。18きっぷの消化試合で遠征しました。

 和歌山駅では向かいのホームに「たま電車」がいました。とっても心惹かれましたが、これに乗ると山の方に行ってしまうので、私が乗ったのは右写真の何の変哲もない電車。子どもたちが貴志川線から大勢乗り込んできたので、どこに行くのか聞いたら、和歌山市立こども科学館とのことでした。プラネタリウムを見るのかな?

 さらに南海加太線に乗り継いで、加太港から渡船です。大人片道1,000円の運賃が設定されていますが、友ヶ島は無人島。往復のきっぷしか売ってくれません。

 片道20分ほどの船旅で友ヶ島着、そして上陸。
 無人島といえども海水浴やら何やらの人でそれなりに賑わっています。

 友ヶ島は大阪湾の南の入り口にあたるので、戦前は軍が砲台を構えていました。全島至る所が要塞化され、あちこちに遺構があります。こちらは第二砲台跡。戦後に爆破処理されて崩れ落ちています。
 灯台に登る途中に見つけた横穴。何かの壕だったのでしょうか。奥には入りませんでしたが、さほど深くないところで行き止まりになっているようです。

 友ヶ島灯台は日本で8番目の洋式灯台(友ヶ島汽船の案内放送による)。大阪湾の入口ということで、明治維新後、早いうちに建設されました。最初に建てられた灯台の位置には軍が第一砲台を築いたため、灯台は一度、移築されたそうです。この灯台のあたりに日本標準時子午線(世界測地系)が通過しています。


 灯台の西側に「子午線広場」と名付けられた草原があり、その真ん中に子午線標識が建てられています。現在地のものとしては、2008年に建てられた2代目。海上保安庁が位置を定めたそうですから、おそらくDGPSによる高精度で測定したはずです。この標識の写真を撮るために、はるばるやってきたのです。
 右写真は、灯台の東側にある日時計跡。機械時計の精度が今ほど確かでなく、時報もなかった頃は、日時計で灯台の時刻を合わせていました。均時差を補正すれば、日時計も数分単位の精度で時刻を読みとれるので、充分、実用になっていたのです。
 友ヶ島灯台と子午線標識のあたりには2時間近く滞在していたのですが、私以外誰も来ませんでした。子午線を独り占めにしたい方にはおすすめです。

 神戸(塩屋)から友ヶ島までは、片道4時間近くかかります。天気が良ければ家から見える島なのに、大阪湾を遠回りするおかげで、一日がかりの遠征になります。まさかこの島に三度も足を運ぶことになろうとは。
posted by ふくだ at 23:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本標準時子午線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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