塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2010年08月18日

小田原城

 小田原に着いたからには、小田原城を攻めなければなりません。上杉・武田の猛攻をしのいだ天下の堅塁です。
 現在、天守閣(再建)が立っているのは江戸時代に整備された本丸で、戦国時代はその北西側に主要な曲輪群がありました。その戦国期の土塁や空堀を見に行くだけの時間はあったのですが……アメダスによるとこの日14時の小田原の気温は34.3度。照り返しのきつい街中では体感気温が体温を超えていたでしょう。
 結局、駅から近道徒歩10分の天守閣にたどり着くのがやっとで、その先の遺構は見ずに引き返しました。恐るべし小田原城。


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2010年05月03日

甲府城(山梨県甲府市)

 甲斐といえば武田氏ですが、甲府城は武田氏滅亡後の豊臣・徳川時代に築かれました。甲府駅の南東にある舞鶴城公園が主郭部で、ところどころに白壁や櫓が復元され、往時をしのばせます。
 甲斐一国の押さえにしては小ぶりな城だと思ったのですが、往時の城域は、北は中央線の向こうまで広がり、西は山梨県庁の一帯を占め、現在の舞鶴城公園の2倍ほどもありました。明治以降の開発で遺構が失われたのですが、それでも主郭部が残ったのは幸いだったといえるでしょう。

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2010年05月02日

岩殿山城(山梨県大月市)

 中央本線大月駅のあたり、北側に見える大きな岩山が岩殿山城です。
 この岩山の上に城、嘘でしょ!? と思うような立地なのですが、山上には湧き水が出るそうです。
 織田信長の1582年の武田攻めの折り、新府城を捨てた武田勝頼が落ち延びようとしたのがこの岩殿山城。ところが城主の小山田氏に裏切られ、勝頼は天目山で自害、武田氏は滅亡します。この岩山を見たら、最後の一戦をここに託したくなるのも分かる気がします。
 今回は電車の中から見上げただけでしたが、いつかは登ってみたいものです。
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2010年03月22日

大坂城(大阪市)

 帰路は大坂城を中央突破しました。
 写真は大坂城天守閣。大坂城天守閣は二度焼失し、現在の建物は昭和の再建です。鉄筋コンクリートで内部にはエレベーターも装備していますが、建築からに70年を経た歴史的建造物で、国の有形登録文化財になっています。夕日を受けた金箔瓦がきれいでした。

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2009年10月27日

姫路城搦手口

 10月25日、花北観望会の日に姫路城に登ってきました。
 姫路城は2009年秋から大規模な補修工事が始まっています。天守閣に覆屋がかけられるのは2010年の花見シーズンの後なので、今しばらくは従前どおりの姿を見ることができますが、今のうちに見ておきたい場所があったので、足を運んでみました。


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2009年09月20日

堺環濠都市遺跡

 戦国時代の堺は、商人による自治の都市で、街の周りには防衛施設として環濠を巡らせる城郭都市でした。
 今も地図を見ると、旧市街の西から南側にかけて、環濠の名残の水路が残っています。東側が高速道路になってしまったのが惜しまれるところ。

 帰ってきてから知ったのですが、現在残る環濠は戦国期のものではなく、江戸時代のものです。
 堺は織田信長の支配を受けて自治権を失い、豊臣秀吉に環濠を埋められました。経済的には南蛮貿易の一大拠点として発展するのですが、大坂夏の陣では豊臣方の焼き討ちに遭い、壊滅的な打撃を受けます。
 現在の堺旧市街の町割は、江戸時代初期に徳川政権下で街の再建が行われたときのもので、環濠も戦国期より一回り拡張されています。

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2009年05月02日

姫路城

 夕方から姫路に移動。
 姫路城は中核部の菱の門以内は有料参観となるのですが、三の丸一帯は市民に開放された公園になっています。あまり人の来ない一角を選んで、木陰のベンチで寝ころんで、文庫本を読んでいました。

 現在の天守閣が完成したのは1609年。なので、2009年で400年。ちょうどガリレオが望遠鏡を空に向けたのと同年です。
# ちなみに関ヶ原の戦い(1600年)より後で、大坂の陣(1615〜16年)の前、鎖国の完成(1641年)よりずっと前。

 姫路城の天守は駅前やJRの高架からも遠望できます。国宝を毎日見ながら暮らしている人がうらやましくも思えます。
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2009年03月15日

東山砲台(神戸市中央区)

 旧摩耶道と学校林道の出合を南に下ると、道標に「砲台跡」の表示が出てきます。
 なにやら気配を感じて藪に突っ込んでみると……ありました。
 崩れかかったコンクリートの構造物の群れ。

 コンクリートの質は良くなく、なんとなく第二次大戦時の構造物のよう。高射砲陣地でもあったのでしょうか。

 「高射砲陣地と防空砲台(Anti Aircraft Battery)」というサイトに写真がいくつか紹介されていますが、この東山の砲台跡も似たような雰囲気です。円形の窪地が3ヶ所ほど確認でき、周囲にはコンクリートで固めた石垣が点在していました。

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2009年02月22日

尼崎城(兵庫県尼崎市)

 尼崎は戦国期から城郭があり、荒木村重の反乱の際には伊丹城(有岡城)とともに最後まで荒木方の拠点でした。
 大坂夏の陣ののち、1617年から近世尼崎城の築城が始まり、三重濠に総石垣の豪快な城郭が完成しました。本丸は方形で、北東隅に四重の天守閣、残りの三つの隅には三重櫓を構え、多聞櫓で連結するという厳重さ。城地の南側は海に面し、水城ともいうべき構えでした。
 尼崎藩は江戸時代を通じて5万石前後の小藩でしたが、大坂城防衛の重要拠点として、尼崎城が幕府から重視されていたことがうかがえます。

 これだけの近世城郭が、明治以降、全ての遺構を失ってしまいます。

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塚口城(兵庫県尼崎市)

 塚口城は浄土真宗の塚口御坊(現在の正玄寺)を中心とした寺内町でした。集落の周囲を堀と土塁で取り囲み、町ぐるみの防衛機能を持っていました。

 織田信長に属していた荒木村重が反乱を起こした際は、はじめ荒木方の拠点として、のちに有岡(伊丹)・尼崎を攻める織田方の前線基地として使われました。江戸時代には防衛機能は無用のものとなり、放置された土塁が崩れて家屋に被害を及ぼしたことから、土塁を崩して堀が埋められました。

 現在は城域の東〜北側にかけての堀が水路として残っているほか、東町門と清水町門の土塁の一部が残存しています。
 写真は東町門で、神社が祭られている小高い場所が土塁です。

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