塩屋天体観測所の雑記帳はhttp://stelo.sblo.jp/に移転しました。
今後はこちらの旧サイトを更新しません。引き続き移転先でよろしくお願い致します。
(2015.5.22 管理人 記)

2009年02月22日

富松城(兵庫県尼崎市)

 尼崎在住の友人に声をかけ、市内の城跡をいくつか巡ってみました。兵庫県南部の人は城といえば姫路城のイメージなので、私が何を面白がっているのか不可思議だったに違いありません。

 富松城(とまつじょう)は、尼崎市の北部、阪急神戸線の武庫之荘駅から北東へ歩いて15分ほどの場所にあります。
 基本的なプランは方一町(約100m四方)の方形館と考えられてきましたが、その後の発掘調査で外側にも堀跡が発見されました。調査区域が部分的なので、城郭域については180m×150m、200m×150mなど諸説あります。

 現存している遺構は、富松城の西側をかたどっていた土塁と堀の一部。土塁は南北47m、幅10m、高さ4m。土塁の北端は基部から幅が広くなっていて、櫓台だった可能性があります。
 写真は土塁を東側から見た様子。見るからに中世城郭の遺構で、大阪近郊の阪急沿線ながらも、よくぞ開発の手を逃れえたものだと感動すら覚えます。

続きを読む


posted by ふくだ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月08日

松岡城(神戸市須磨区)

 松岡城は神戸市須磨区にあります。
 『太平記』には、足利尊氏が戦に破れて逃げ込んで、あわや切腹という舞台で登場します。
 松岡城は、須磨区大手町にある勝福寺の境内とも、その裏手の山とも伝えられています。「大手町」という町名自体がお城に由来するものとも。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

舞子砲台

 舞子海上プロムナードから見た舞子砲台。
 写真中央の屏風のように折れ曲がった石垣がそれです。復元図が神戸市のサイトにありますが、現存するのは西半分のみ。海に面する部分の下半分はコンクリートで補強されていますが、発掘調査の結果、石垣そのものは幕末のものであることが確認されています。

 大坂天保山から兵庫和田岬に至る砲台(天保山・今津・西宮・湊川・和田岬)は幕府の直営で建造されましたが、舞子砲台は明石藩の担当。ただし設計等は勝海舟によるもの。仮想敵は外国艦隊ですから、洋学経験者でないと実戦に耐える要塞は作れないと考えられたのでしょう。
 とはいえ、大坂湾岸の勝が設計した砲台は、試し撃ちをしたけど煙が充満して使い物にならなかったとか、一度も使われないままだったとか、大砲すら設置されなかったとか、ものの役に立っていないような話ばかり残っています。
 役に立たなくて済んで何よりといえば、その通りなのですけれども。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:46| Comment(4) | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

但馬竹田城(兵庫県朝来市)

 城好きの間では「天空の城」とも呼ばれる但馬竹田城。
 播但連絡道から見上げたり、向かいの朝来山の中腹から見渡したりすることはあっても、これまで機会がなく、登ったことがありませんでした。

 山頂から徒歩10分くらいの所に駐車場もあるのですが、そこは山城。麓から地力で登ってこそ、味があるというものです。播但線竹田駅の裏手から大手門への登山道が通じていて、所要時間30分と案内されています。
 久しぶりの山城だったので上りのペースがつかめず、オーバーペースで歩いて途中でバテバテになり、最後は曲がり角ごとに休憩を取る羽目になりました。それでも大手門まで30分ちょうど。かなりゆっくり歩くことをお薦めします。

 で、実は大手門まで車道が通じていて疲れが倍増したりします。俺の苦労を返せ〜っ。もっとも、木々の影になって景観を妨げないような道ですし、史跡整備の工事などで自動車を近くまで入れる必要もあるでしょうから、これは致し方のないところ。うん、やはり山城は地力で登ってなんぼです(でも次は車だ!)。

 さて、竹田城。
 これは、もう、すばらしい。
 独立峰の山上の石垣は、「天空の城」の異名に恥じぬ緻密かつ勇壮さ。そして本丸上からの360度のパノラマ。山麓の景色がまた、谷あいに広がる旧城下町と円山川に沿って伸びる緑の田んぼといった具合で、絶妙に遺構を引き立てます。
 興奮して、天守台から撮った写真を、携帯メールで何人にも送りつけました。被害(?)に遭った方申し訳ありません。

 総石垣の精緻な縄張りもいいのですが、遺稿の保存状況には感動すら覚えます。
 石垣はきちんと修復され、曲輪上の木々はていねいに伐採されています。縄張りが一目瞭然に分かる上、草のじゅうたんと石垣が景観上、絶妙なコントラストを演出しています。
 何より素晴らしいのは、曲輪内を中途半端に公園化していないこと。遊歩道的な整備が行われているのは車道の末端から大手門までで、城内の通路はみな、元からの石段と踏み跡だけの土の道。
 休憩用のベンチや東屋もなく、枝を刈り払った丸木を腰掛け代わりに何ヶ所かに置いてあります。所々に残された木々が木陰を提供しているので、日光に晒されっぱなしということもありません。

 とにかく城郭の公園化というと、コンクリやタイル敷きの遊歩道を巡らせて、東屋やら芝生広場やら、旧来の景観にそぐわない施設を作ってしまう傾向があるだけに、「何もしないけど手入れはする」状態を維持するのは勇気がいる判断だったと思います。
# トイレ付きの休憩所は徒歩10分の駐車場にあります。

 暑い中、汗を流しながら登った苦労が、十倍にしてお釣りが来るくらいのお城でした。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:45| Comment(5) | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

木原城(茨城県美浦村)

 この日のお城の2つ目が木原城。中央競馬の美浦トレーニングセンターで有名な美浦村にあります。
 I曲輪が城趾公園になっていて、遺構の雰囲気を壊さないよう整備され、地域の人々の憩いの場になっています。II曲輪の駐車場に車を停めて歩いていったのですが、まず驚いたのが土塁の大きさ。写真に写っている人と比べれば分かりますが、利根川の堤防かってくらいな巨大土塁です。思わず笑い出してしまいました。防御ラインは比較的単調ながら、土塁も堀も技より大きさといわんばかりの迫力です。

 I曲輪は舌状台地の先端で、先の方は梯子を掛ければ昇れそうな程度の高低差しかないのですが、かつては帯曲輪が巡り、周囲は泥田だったそうです。I曲輪からは霞ケ浦が見渡せ、対岸も家並みが判るほどの近さです。対佐竹最前線の緊張感が伝わってくるようです。

 木原城は城郭中心部の遺構も素晴らしいのですが、外郭部も見逃せません。特に300mに渡って伸びる二重堀は屈指の遺構。林の中に空堀と土塁がうねうねと続き、その見事さに開いた口がふさがりません。なんだこの土木作業量は。なぜここまでやる。何を考えていたんだ後北条氏。
 薮をかき分けて二重堀を踏破し、神田(じんでん)畝堀も踏破。
 「ここまで来たら寺曲輪もいっときましょか」と、土塁を登りはじめるひづめさんと岡田さん。はい、付いて行きますどこまでも。

 土塁をふたつ越えて出たのが寺曲輪に広がる永巌寺の墓地。片隅に城主近藤氏ゆかりの宝篋印塔が残ります。かつての遺構の状況の説明を受け、墓石の列を抜け、土塁を登って再び薮へ消える3人。お彼岸ですが、明らかに一般のお墓参りの行動ではありません。

 謎のバスタブを見た後、神田畝堀と二重堀を逆にたどります。畝堀の畝は、下から登りながら見た方が分かりやすい感じです。二重堀の間の土塁を戻って、今回の木原城見学終了。

 元茨城県民とはいえ、茨城在住時にはこれだけの大城郭を全く知りませんでした。いいお城を見せて頂きました。
posted by ふくだ at 23:47 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

稲敷の街道閉塞堀切群(茨城県)

 街道閉塞堀切群(戦国土塁)、とは聞き慣れない名称ですが、あえて多少の誤差を含んで割り切ると、超ミニ版の万里の長城みたいなものです。
 茨城県南部は洪積台地と沖積低地が入り組んだ地形なのですが、この洪積台地を分断するように、長々と土塁と堀切の防御施設が作られています。しかも何ヶ所も。『図説 茨城の城郭』では密度の高い稲敷と鹿行のものが紹介されていますが、どうも他の地域にも同じような遺構があるようです。

 今回は、吉原二重堀割目土塁雀久保土塁の3ヶ所を案内していただきました。写真は雀久保土塁の遠景。湿地帯を前面に配した構造です。仮想敵は、下妻多賀谷氏と佐竹氏連合。そういえば下妻城の北に張り巡らされた幾重もの防衛ラインも、この雀久保土塁のような雰囲気だったのではないかと思ったり。敵なんですけどね。

 吉原の二重堀といい、割目土塁の畝堀(?)といい、あまり統一感のない技法で築かれているのも不思議といえば不思議。物好きな領主がその時々の流行技術をとりあえず試してみた……んなわけないか。

 城郭と違って地味な遺構なだけに、他地域でも注目されぬままに埋もれてしまった物がたくさんあるのではないかと思ったりもします。
posted by ふくだ at 23:46 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

牛久城(茨城県牛久市)

 常総戦隊ヤブレンジャーのミホレンジャー・オカレンジャーこと、ひづめさん岡田さんに、茨城県南のお城をご案内いただきました。

 最初に連れていって頂いたのが牛久城
 実はこの牛久城、茨城を離れる前の最後の時期に、大学の後輩と足を運んだことがあります。後輩がWebで牛久城を紹介しているサイトを見つけて「なんか凄い城跡があるらしいですよ、行きましょう!」と誘ってきたのでした。I曲輪とII曲輪の周辺だけ見てきたのですが、竹藪の中にぐっさりえぐれた巨大な空堀を見て、「よくこれだけの城が知られずに残っていたものだ」と驚いたのを覚えています。

 あれからはや幾年。
 竹藪が少し増えたり減ったり、多少ばかり夜には近づきがたくなったりしましたが、壮大な牛久城の姿は今も変わりません。というか、かつて足を運んだエリアより遥かに広大な地域に遺構が残っていて、驚きます。単なる在地土豪の城でなく、戦国末期には後北条氏の最前線基地になっていたというのがその理由。大勢力の境目はつらいのです。

 「得月院」というお寺がありますが、その北東で道がカーブしている辺りが牛久城の外郭線の大手です。どれだけ広いんだ。

 ひづめさんも岡田さんも初対面だったのですが、何の躊躇もなく、薮をかき分け、土塁に登り、空堀を渡っていくのが素敵でした。

「これは一段とヤブがひどくなったねぇ」
「跳ね返されそうなヤブですねぇ」
「じゃあ、行こうか」
(えっ!?)

 さすが、常総戦隊ヤブレンジャー。お見それいたしました。
posted by ふくだ at 23:45 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月10日

松坂城(三重県松阪市)

 蒲生氏郷が1588年に築城した松坂城。現在の地名は松ですが、当時は松でした。「松阪」の読みは「まつか」。大学の先輩に同地出身の方がいたのですが、地元では「まっさか」と発音するそうです。

 さて松坂城。建造物こそありませんが、見事な総石垣が残ります。織豊大名の城郭としては小振りですが、野面積みの石塁が幾重にも折り重なる防塁線は、さすが文武に秀でた氏郷ならではと納得させられます。

 現在の石垣は、1988年から2003年まで行われた「平成の大修復」でよみがえったもの。それ以前は崩れた石垣の部分に道が付いていたり、いろいろ後世の改変があったそうです。石垣自体も痛んでいたので、修復工事を兼ねて江戸時代の旧状に復したのですが、地味な工事を15年もかけて完遂した松阪市には敬服します。

 兵庫県南部の城と比較すると、年代順で以下のようになります。
  松坂城(1588)→姫路城(1601池田氏改修)→明石城(1619)→赤穂城(1648)

 曲輪の構成は姫路城を頂点に次第にシンプルになりますが、赤穂城では稜堡式要塞に似た外郭線が設けられるようになり、石垣の城とはいえ、松坂城とまるで設計思想が違うのが面白いです。(2008.2.10訪問)
posted by ふくだ at 23:47 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月02日

江戸城(東京都千代田区)

 徳川将軍家の居城にして日本最大の城郭だった江戸城です。
 現在も旧西の丸一帯が皇居として使われているほか、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)、皇居外苑(西の丸下)、北の丸公園(北の丸)が公園として公開され、またお茶の水から赤坂にかけて大規模な外堀が残っています。

 左は西の丸大手門、現在は皇居正門となっています。右は西の丸大手門前の石橋。江戸時代は木橋で、現在の二連アーチの石橋は1964年に架けられたもの。意外に新しいのです。

続きを読む
posted by ふくだ at 23:45 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

逆井城(茨城県坂東市)

 旧猿島町にある逆井城跡です。
 私が中学〜高校の頃に大規模な発掘調査が行われ、その後を追うように逐次、公園整備が行われました。高校の先輩に城の存在を教えてもらった頃は塀と井楼櫓、本丸楼門までの復元だったのですが、その後も整備事業が続けられ、現在では鎧武者が不意に顔を出してもおかしくないような姿になっています。

 今でこそ戦国期の時代考証に忠実な建築物も増えてきましたが、逆井城はその嚆矢ともいえる整備例です。それまで城の復元といえば史実無視の模擬天守をどかんと建てるのが珍しくなかっただけに、中世城郭好きとしてはイラストで想像するしかなかった戦国期の城塁が目の前に現れて、それはもう、画期的なことでした。

 帰省先から原付で行ける場所にあるので(自転車で行ったこともあったなぁ)足繁く通ったものですが、最寄駅からタクシーで50分とか、公共交通機関の便は極悪非道です。でも、それを押してでも、お城好きなら一度は足を運んで損はないところです。

・写真入りの詳しい解説があるウモさん逆井城のページ
・全体像をつかめる復元鳥瞰図がある余呉さん逆井城のページ
posted by ふくだ at 23:46 | TrackBack(0) | お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。