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(2015.5.22 管理人 記)

2013年07月14日

八重の桜 その7

 8月23日、会津若松城を一気に抜けなかった新政府軍は、一旦、外郭の外に撤退して攻囲戦の構えを敷きます。母成峠から攻めこんできた軍勢だけでは城を囲みきれず、後続の援軍を待ちますが、その間にも小田山を奪取して城内砲撃の準備を進めます。
 小田山は会津若松城本丸から南東に1.5km。会津盆地の東側に連なる山並みが、城に最も近接する地点です。劇中、会津勢も小田山の重要性に気付いて、白河口から小田山へ向かう新政府軍を遮断すべく、天寧寺に兵を送ろうとします。しかし新政府軍に先を越されて小田山を押さえられます。
 会津若松城は江戸時代初期の設計なので、当時の大砲を基準にしたら、小田山から城内が射程圏内に入ることは想定していなかったのでしょう。

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2013年06月30日

八重の桜 その6

 上に挙げたのは福島県立博物館が所蔵している『陸奥之内会津城絵図』(いわゆる正保城絵図)に加筆したものです。北が上になっています。
# 学研の「歴史群像名城シリーズ 会津若松城」に収録されているものをスキャンしています。

 会津若松城は城の本体の内郭と、外堀に囲まれた城下町の外郭からなっています。外郭は東西約2km、南北約1.3kmの楕円形の地域で、武家屋敷町になっていました。劇中で「お城」と呼ばれるのは内郭、「お城下」と呼ばれるのは外郭です。
 いざという時は外郭は戦場になるため、城下の武家は合図の半鐘で、お城に集結することになっています。一方、非戦闘員の町人は外郭の外に退去。山本家でも徳蔵とお吉に暇を出しています。

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2013年06月28日

八重の桜 その5

 1868年7月末、会津の情勢は絶望的に厳しくなっていました。
 白河口では5月に白河城を新政府軍に奪われたまま奪回を果たせず、逆に7月29日に二本松が落城。
 北越戦線では7月29日に新潟港を新政府軍に制圧され、長岡城が再落城。

 山川健次郎が加賀から硝石を入手できないかと提案するシーンがありましたが、新潟港の失陥でそれも叶わぬこととなりました。陸の奥州街道と海の新潟港を押さえられた奥羽越列藩同盟は補給を絶たれます。

 四方を山に囲まれた会津ですが、南方への交通路は三方に絞られます。
 一つは南東の白河口、現在の国道4号線。言わずと知れた奥州の大動脈。
 一つは南の日光口、現在の国道121号線(会津西街道)で、日光・今市を経由して関東平野に出ます。
 もう一つは西の越後口、只見川・阿賀野川沿いに新潟へ出る、現在の国道49号線です。

 このうち白河口を突破されたことで、会津領東側の防衛は難しくなりました。
 二本松まで抜かれたために、猪苗代湖の東側の広い範囲に兵力を分散せねばならなくなったのです。
 主要街道は会津と白河を直結する勢至堂峠で現在の国道294号線(白河街道)。もう一つは二本松と会津を結ぶ中山峠で現在の国道49号線(二本松街道)。その他にも脇街道が5〜6本。
 新政府軍は一点集中で兵力を投入できますが、会津はどこを攻められるか分かりません。
 会津若松城下をガラ空きにしてまで、広大な国境線に主力を張り付けることを余儀なくされます。

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2013年06月12日

八重の桜 その4

 一時は4週分の録画を溜め込んだ「八重の桜」、もう一度追いついて観ています。

 この2ヶ月で描かれたのは、孝明天皇崩御から大政奉還、鳥羽・伏見の戦いを経て会津が「賊軍」になるまで。
 孝明帝の崩御から大政奉還までは10ヶ月間ありますが、ほとんどの幕末ものはあっという間に飛ばしてしまいます。今回は薩摩陣営に幕府・会津がじわじわと追い込まれていく姿が丹念に描かれているのが新鮮でした。
 
 それにしても、慶喜のヘタレっぷりと西郷の腹黒っぷりが見事です。
 特に西郷隆盛。人格者として描かれることが多い人ですが、明治維新の段階ではむしろ怜悧な策謀家でした。義も筋もあるのですが、冷酷な判断も下し、時には陰謀も厭わない。敵に回すととことん恐ろしい男。吉川晃司の西郷はそれを見事に表現しています。

 江戸城明け渡しをめぐる勝海舟との会談は、幕府視点からは勝の先見を、薩摩視点からは西郷の懐の深さを強調して描かれますが、今回は珍しくも両者が四つに組んだ談判でした。勝は幕府側でありながら、会津とは相容れない立場。結果として両者から距離をおいた描写となり、この場面としては近年の幕末物にない名シーンになったと思います。

 しかし奥羽の世良修蔵といい、北陸道の岩村精一郎(今回は出て来ませんが)といい、なんで西軍はこの程度の人物を送り込んだのでしょう。東国諸藩を従えるよりも、軍事衝突を起こすのが目的だったと穿ちたくなります。今回の世良修蔵の憎々しさも相当で、視聴者の誰もが斬れと思ったに違いありません(苦笑)。

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2013年05月31日

2013年5月の読書

有川浩「三匹のおっさん ふたたび」
池上裕子「人物叢書 織田信長」

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2013年04月30日

2013年4月の読書

吉川英治「随筆 宮本武蔵」

 4月は新しい本を読まなかったなぁ。「シャカリキ!」を3回も読み返したりしてましたので。
 「随筆 宮本武蔵」は、吉川版宮本武蔵執筆にあたっての調査・研究を振り返る内容が中心。吉川版宮本武蔵は内容の多くがフィクションですが、結果的に一般的な武蔵像を創りあげてしまったところがあります。
# 今さら沢庵和尚やお通が出てこない武蔵は、納得しない人もいるでしょう。

 随筆執筆の背景には、どこまでが史実でどこからが創作の領域なのかを著者としても示しておく必要性を感じたようです。宮本武蔵の人間像に迫った吉川英治の解釈が小説で、その解釈に至る過程を解いたのがこの随筆。創作部分も、作家なりのきっかけや推論をふくらませて作っていることが分かって興味深く、当時の武蔵研究の一端も垣間見ることができます。

 最後に作中の舞台を訪ねる紀行が収録されていますが、巌流島の下りで「現在は関門トンネルの開通を目前にしながら」という一節がありました。小説宮本武蔵が連載されていたのは1935〜1939年。吉川英治は文体に古さを感じないので、そんな昔の気がしなくて、ちょっとびっくりでした。
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2013年04月18日

映画「少林サッカー」

 テレビでやってたのを録画して視聴。
 おバカな展開なんですけど笑い転げました。ここまで痛快にやってくれるということないです。
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2013年04月10日

八重の桜 その3

 第9回「八月の動乱」を本放送、再放送とも見逃し、録画忘れました。本放送は3月3日で「星なかまの集い」を終えて帰ってきた日です。起きてるわけがありません。一回飛ばすと勢いが鈍り、そのまま10〜13回の4回分を録画に溜めて、後から追いかける羽目になりました。

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2013年04月08日

曽田正人「シャカリキ!」

 突然ですが、自転車が好きです。
 「シャカリキ!」は自転車のロードレース、特に山登りに命をかける少年の物語。
 コンビニコミックで見かけて、途中だけつまみ食いのように読んでいたのですが、電子書籍のKindle版が出ていたので全巻読み通しました。面白かった! 熱かった!

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2013年03月31日

2013年3月の読書

吉川英治「宮本武蔵」04 火の巻
吉川英治「宮本武蔵」05 風の巻
吉川英治「宮本武蔵」06 空の巻
吉川英治「宮本武蔵」07 二天の巻
吉川英治「宮本武蔵」08 円明の巻

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